日本人としての恋
           


日本人の魂、恋心よ、よみがえれ!
 ――何故今、日本人の魂、日本人の恋心、なのでしょうか――


 恋歌編集部のメンバーが共通して認識しているのは、「恋愛」と「恋」とは違う、
ということです。「恋愛」は "love" の翻訳語として、近代になって輸入された、
結婚を最終目的としたもの、「恋」は昔から日本にある命のはたらきのようなものです。

恋には目的がありません。
何のためでもなく、ただ、身の内からどうしようもなく湧き出ずるものです。
その湧き出ずる情熱を歌に託し、自由に交し合った古代の美しい恋歌の数々を、
日本人であれば目にしたことのない人はいないでしょう。

西洋の人たちと私たち日本人とでは、環境も、歴史・文化も違います。
体や精神も異なれば、当然、男女のあり方だって違います。私たち日本人には
日本の歴史や文化の中で育くまれてきた男女のあり方というものがあるのです。
それを見失ってしまって、西洋の生活・思想・宗教の中で確立された男女のあり方に
自分たちを当てはめようとして、はたして元気が出てくるものなのでしょうか。

そんな気持ちから、
「蘇れ!日本人の恋!」という叫びが生まれてきました。

イザナギとイザナミ、
一組の男と女から生まれた国、日本。

いつの時代も男と女の関係から生まれるエネルギーが、国を創り人を動かしてきたのです。
日本は、そのようにして生まれた世界でも稀なる国であり、私達はその民族の子孫と
して今、日本に生きているのです。

近代化の過程の中で、いつしか、男も女も中性化した単なる労働力と化してしまい、
男であること、女であることの意味が曖昧になってしまったのが現代ではないでしょうか。
今、敢て、男が男に、女が女になり、古代に国を創っていったような豊かな関係が
生まれること、それが必要とされているのではないかと想います。

ひとりの日本人として、、、、男として、女として、
自分の命の中にある、人を恋うる気持ち、それを表現することが
きっと社会を変え日本を変えていく、、、

そんな一筋の道を見て、恋歌編集部の活動は始まりました。


*****


「万葉の恋歌を訪ねて」のタンゴ黒猫が語る、古代日本人の恋より


・・・・
それでは私たち日本人の先祖たちはどのような恋をしていたのでしょうか。僕はこの
メールマガジンの連載で、『万葉集』を読みながら当時の男女関係の豊かさを探ろう
としたわけですが、そこでわかったことは、当時は天皇だって何かの行事で「あ、か
わいい」という娘を見かけたらそれで声をかけたりするわけですし、誘われた娘だっ
て天皇だからって遠慮したりしないで断ったりするわけですね。そして、皇族や官僚
から一般民衆まで、お互いへの愛も、恨みも、ダイレクトに表現しあう、何とも大ら
かな男女のやりとりに触れる時、僕なんかは元気が出てきたりするのです。実際、こ
うした自らの恋心を表現しあった人たちは同時に、日本という国の、国家としての基
盤や制度をつくっていった人たちでもあったわけです。恋ということが単に一組の男
女のプライベートなことに止まらず、国をつくるエネルギーにまでなっていったのです。

日本人とはそういう国民――恋をして、それを表現し、豊かな男女関係が築かれたと
ころで生まれるエネルギーが国を動かしてきた。今、私たちの国日本は、そして私た
ち一人一人も、そういうエネルギーを失ってしまっているように思います。今こそ、
映画やテレビの真似でなく、日本人らしい恋をして、それを表現すること、その中か
ら新しい男と女のあり方、そして新しい日本が生まれてくるのではないでしょうか。


                                     (近日全文公開予定)

 
 

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