離れがたかったもののものの、いつまでもここにいるわけにもいかない。僕は次の目的である神魂(かもす)神社へと向う。そこへは歩いていくことにしていたのだが、八重垣神社の鳥居を出るとそのまま真っ直ぐ、最初に見た夫婦椿を過ぎていくと、ここから神魂神社や八雲立つ風土記の丘へと続くウォーキングコースがあった。このコースに沿って歩いていくことにする。
もうこの道に沿っては民家は殆どない。辺りに人は誰もいない。山に抱かれながら、やさしい風に吹かれながら、一人この一本道を歩いて行った。八重垣神社の心地よい空気はずっと続いていて、この道を歩くのはとても楽しい。ふと、古代の日本では婚姻の形態が招婿婚(しょうせいこん)、夫が妻の許に通う形のものであることを思い出した。毎日、4、5キロの道程(みちのり)を歩いて通うことは普通であったらしい。かつてこの道を歩いて愛しい人の許に通った男がいるのだろうかと、こんな道ならその道程も辛いものにはならず通うことが楽しかったであろうかと、そんなことに想いが至るのだった。

八重垣神社から神魂神社、風土記の丘へと至るウォーキングコースは心地よく、歩くのが楽しい
このウォーキングコースを15分程歩いたところで神魂神社に着いた。何故「神魂」と書いて「かもす」と訓(よ)むのか、詳しいことはわからないらしい。私は、最初この文字を見た時、『出雲国風土記』によく出て来る神魂命(カムムスヒノミコト)のことを思い出した。神魂命は『古事記』では神産巣日神(カミムスヒノカミ)として、アメノミナカヌシノカミ、タカミムスヒノカミと共にこの世界のはじめに、天上に最初に現われた三柱のうちの一神である。「カモス」とは「カムムスヒ」が訛ったものではないのか。イザナギ、イザナミに先立つ、この国のはじめの神様を表すために――。
この神社はイザナミノミコトを祀る所である。そして現存する最古の大社造りの建築として知られている。大社造りとは有名な出雲大社に見られる建築の形式であるが、出雲大社が将軍吉宗の時代、1744年(延享元年)に改築されているのに比べ、神魂神社は先立つこと400年、室町時代の1346年(正平元年)に建立されているというもので、国宝に指定されている。更に、この大社造りには男造りと女造りとあるようで、出雲が男造りであるのに対し、この神魂神社の方は女造りと言うのだそうである。この、イザナミという女神を祀ること、そして女造りという形式であることにあるやさしいイメージを抱いていた僕は見事にその予想を裏切られることになる。
鳥居をくぐって低くなだらかな階段を20段程上ってしばらく行くと、正面は明らかに境内へと上って行く坂があり、「女坂」と記されている。「女坂」――。女の人でも境内に行くことができるように造られた緩やかな坂、ということであろう。紀伊の熊野への道もそうだったが、古代の日本の神社は、老若男女全てに開かれ、どんな人をも受け容れていたのであって、その為にお年寄りや女性、子供でも訪れることができるよう、そこへと至る道もやさしいものであったことを思い出した。「女坂」――。とすれば、男は――。と見ると右手に大きな岩を組んでできた急な石段がある。この石段を登ればすぐに境内に辿り着けそうである。女坂の方はぐるっと回りながら上がっていくようである。ならば男の自分はと、この急な石段を登ることにした。

神魂神社の鳥居(左)――そして急な石段を登り詰めるといきなり拝殿が(右)
そんなに段数多いわけでもないが、次第に息は荒くなっていった。そしてその急な石段を登り詰めると、すぐ目の前に拝殿が現われ、はっと息を呑む。「神さびる」とは正に、この社殿とこの境内の空気のためにあるような言葉である。「女造り」とは言っても、この社殿は荘厳で質実剛健といった感じで、あまり女性的な感じはしないのだった。実は、「男造り」「女造り」それぞれの特徴の一つは、本殿の屋根の上にある罰点の部分にある。この罰点の先端部分が天に向って尖っているのが男造り、平らになっているのが女造りというわけである。今ここに神魂神社のその部分の写真を掲げておくので、後で男造りの熊野大社と比べてみて頂ければお分かりになるかと思う。しかしこの罰点で男と女とは――尖っているのが男で平らなのが女――と、考えていて、あっ、と思い当たったのがまたもや蛇である。この罰点、またしても絡み合う蛇のデフォルメされたデザインではないか! それはあの夫婦椿とも相似形である。脱皮しては常に新しく生まれ変わり続ける蛇、二体の雄と雌が正に一体となり、仲睦まじく、濃厚な交尾をする蛇、その蛇こそが古代人の生命力の源であり、生きるということの究極の姿であった。しかして蛇は神となり、その象徴が社殿の一番高く目立つところにあるのではないのか。

大社造りの本殿(左)とその屋根の部分(右)
そんなことに想いを馳せながらも、僕はこの神社の荒々しくも逞しい、古代人の息吹きを感じていた。ここに祀られているのはイザナミノミコトということだが、昨年熊野に行った折に訪れた、同じくイザナミを祀る花の窟(いわや)神社がどこか大らかでやさしい、いかにも母親らしい空気が漂っていたのに比べると、ここのイザナミはもっと力強く、勇ましいとすら感じる。そしてこの空気に触れるうち、次第に自分の中に力強いエネルギーが満ちて来るのを感じた。神魂というその名の通り、ここは正に、この国を生んだ魂に溢れる空間なのだ。
柏手を打って参拝する。先程の八重垣神社では手を合わせた時に図らずも愛しい人のことが心に浮かんだが、今度は違う。「この国を救い給え。我らの裡に再び魂の蘇らんことを。」心の裡にそんな祈りを捧げていた――。
[ 神魂 ]
この国を救い給え
我らの裡に再び魂の蘇らんことを
何もない所から
あらゆる苦難を乗り越え
国を創りしあの力を
再び我らに与えよ
「愛」とあなたは言う
愛より他に
国が栄え 人が幸せに
戦いに勝ち 平和をもたらす
力はないと
「行け 男よ」とあなたは言う
愛する者のために戦えと
愛を忘れてはならぬ
愛があれば戦い抜けると
グズグズするなと言われているようであった。わかったら早く行け、この国のためにお前のできる事を早く為せと、そう言われ、急き立てられられているようであった。そう、僕は目的があってこの地に来ているのだ。いつまでも旅行者気分でブラブラしているわけにはいかない。僕は慣れない足つきで例の急な石段を下りると、次の目的地である熊野大社を目指した――。
―つづく―
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