【メールマガジン「恋歌」第64回】
2004.03.18

 

[ 意宇川 ]

熊野へと向う道に沿って
きらきらと舞う光と水
ああ きれいだな と思う
身も心も癒され 清められ
僕は いつか遠い昔
ここにいたことを思い出す

人が神々と共にいた頃
人が自然と共に生きた頃――

人はいつもこの川と共にあり
この川はいつも人と共にあった

時を越えてきらめき続け
時を越えて流れ続ける
この川に沿って僕が辿るのは
神と自然へ還る道
人が人へと還る道



*' *' *' *' *' *' *' *' *' *' *' *' *' *' *' *' *' *'


熊野大社へはバスを乗り継いで向う。神魂神社の前の道を東に向ってしばらく歩くとかんべの里や八雲立つ風土記の丘資料館といった施設を通り過ぎて風土記の丘入口のバス停に着いた。八重垣神社や神魂神社があまりにも素晴らしくて、予定よりも長居したはずだったが、思ったよりも早く、乗る予定のバスに間に合う時間にこのバス停に辿り着くことができた。

さて、バス停の時刻表を見ると、僕が乗ろうとしていたバスは土日祝日は運行しないことになっていた。まぁ、そんなこともあろうかと、次のバスで行っても、十分間に合う時間に松江市街に戻れることは調べてあったのだが、いかんせん、次のバスまで40分はある。ここで40分を過ごすのは――。

と思って辺りを見回すと、「出雲国庁跡 1km」の案内が出ている。1kmなら15分位で行けるだろう。往復で30分、まぁ、ちょうどよいではないか、ということで出雲国庁跡を訪れることにした。

前にも書いたが、かつて出雲と言えばその中心はスサノオが住んだこの周辺の地域だったのである。そして、時代が下って大宝律令が作られ、奈良遷都が行われ、国としての制度が固まっていく中で、出雲の国庁、今の県庁に当る役所が置かれたのが正にこの場所だったのである。

 出雲国庁跡――その中心的建物の背後には森があった(右)


「国庁跡」と言うだけあって、国庁の建物などは何も残っていない。ただ国庁を囲んでいた堀が再現され、柱の立っていた位置に短い柱が据えられているだけである。が、この何にもなさが却って僕のイメージを膨らませる。せわしなく仕事する1,300年前の役人たちの姿が目に見えるようだ。山に囲まれた静かで心地よい空間。こんなところで昔の人たちは働いていたのだ――。

しばらくそこの空気を味わって、再びバス停へと戻る。バスの時間には十分間に合った。バスを待つ間、辺りの景色を見ていて、ふと気づいたことがある。それは八重垣神社からここに来るまでの間、薄々気づいていたことではあったが――。

それは、周りの山々がいずれも蛇っぽい。ということである。吉野さんの本を読んだ後の影響ということもあるだろうが、どの山もどことなく蛇を連想させるように思える。もしかすると――。ヤマタノオロチとはこの山々、或いはこの山々を治める神のことではないのか――。そしてクシナダヒメは蛇巫(へびふ)として蛇=山の神に捧げられた存在だったのではないか――。或いはスサノオとは、その蛇の神を打ち負かし、クシナダヒメを救い、新しい生き方を始めた人であったのかもしれない――。

 



こんな何ということもない山も蛇っぽく見える


『古事記』や『日本書紀』に描かれたスサノオは荒っぽい、猛々しい存在である。その名前の響きから凄まじい風のイメージがある。私がスサノオに抱いていたイメージはそうであった。しかし、この、出雲の国で感じるスサノオはもっと大らかでやさしい存在である。それをイメージするのは八重垣神社で感じたクシナダヒメとの間に培われたやさしい空気や、それから『出雲国風土記』にはツツジだか何だかの枝葉を頭に飾って楽しく踊るスサノオのことが描かれているのを知ったこともある。更に、出雲の国の西には須佐の地名があり、同じく『出雲国風土記』によればスサノオが自分の名前をつけたということになっているが、逆にスサノオとは、「須佐の男」という意味の名前なのかもしれない。「凄まじい男」という意味ではなくて。

それからもう一つ、昨年熊野を訪れた時に抱いた一つの疑問。それは、熊野では神々の名前が独特で、例えばイザナギはハヤタマノオオカミ、イザナミはフスミノオオカミなどと呼んでいて、それぞれそのニュアンスはわかる気がしたのだが、どうしても納得がいかなかったのがスサノオで、ケツミミコノオオカミと呼ばれているのだ。ケツミミコというその名前が表しているのは食べ物の神様ということであろう。どうして荒ぶるスサノオ、『古事記』では田を荒らしたとされるスサノオが食べ物の神様なのか――。

僕のイメージは広がっていく――。須佐の国から流れてきた男が、この蛇信仰の国に現われる。娘を蛇の神様に差し出さなければならないことに嘆く家族に出会う。男は山の神と戦い、勝ってその娘を娶り、この土地で新しい生活を始める。その男は土地を耕し、食糧を保存し、安定的に供給できるようなやり方を自分でやって見せ、その土地の人々に伝える。食糧の安定的な確保、これこそ古代社会にとって重要な要素だったのではないだろうか。こうしてこの土地の人々は豊かになっていき、この食糧革命を起した男は食べ物の神様として崇められることになる――。

『古事記』には食糧の神様であるオオゲツヒメノカミをスサノオが殺し、その殺された神の体から蚕、稲、粟、小豆、麦、大豆の五穀が生じた話が出ているが、これもスサノオが古い食糧確保のやり方を廃し、五穀を育て、安定的に確保していくやり方を始めたということの象徴なのではないか。とすれば、スサノオはただ荒っぽいだけの神様ではなくなって来る。出雲に伝わるスサノオの神話が大和に伝わった時、いろいろなその元の意味は忘れられていったのだろう。が、この土地にある熊野大社を勧請してできた紀伊の熊野には、その元々の意味が息づいているのではないか、そしてそれがケツミミコノオオカミという呼称につながるのではないか――僕はそんなことに思いを馳せた。そのことはこれから行く熊野大社で確かめられるかもしれない――。

バスの終点は八雲村のバスターミナルである。ここで今度は熊野大社行きの村営バスに乗り換える。この村営バスが、かわいい。「にこにこバス」という愛称がついていて、小型のバスかワゴン車なのである。それもその筈、ここから熊野大社へ向う時もその帰りも、乗客は私一人であったから。このバスの需要としても、そして、この静かな山道を走って行くのにも、やはり大型のバスよりもこうした小さなバスの方が相応しいように思える。

最初はどこをどう走っていたのかはさっぱりわからなかったのだが、やがて山へ向う道に入る。と、その道に沿って、きらきらと光るきれいな川が流れている。意宇(おう)川だ。ずっと道に沿って、こっちだよ、こっちだよ、と誘うように、水と光とが美しくきらめき乱舞するのに僕は見入ってしまう。何てきれいなんだろう。そして何て懐かしいんだろう。この光景に心安らぐと共に、僕はこの感覚を、どこかで経験したことがあるように思い、体中の感覚を研ぎ澄ました。そうだ! 熊野だ。熊野川だ。あの時は熊野本宮大社から熊野川を下って行ったので、方向は逆かもしれないが、この清らかな、身も心も洗われる感じは同じだ。そう、そうなのだ。紀伊の熊野は、この出雲の熊野と同じ風景、同じ空気の場所を求めて探し当てられた土地に違いない。
バスはかなり長い距離を走ったと思う。その間ずっと意宇川はきらきらと輝きながら車窓に沿って流れ、僕の目を、心を楽しませてくれた。いや、道に沿って川があるのではない。本当は、この川に沿って道が出来たのだ。古(いにしえ)の人はこの川に沿って移動し、それが道となった――それは当然のことのように思える。この美しく清らかな流れは善なるもの、或いは神の導きと感ぜずにはいられない。

やがて、その懐かしい流れと別れを告げたと思うと、暫くして熊野大社に着いた。大きな鳥居の脇に「出雲國一之宮 熊野大社」の文字。とうとう来た。紀伊の熊野のルーツ。そして、出雲神話の故郷(ふるさと)に。

 

熊野大社の鳥居(左)とさざれ石(右)


入っていくと不思議なものが目に入る。「さざれ石」である。そう、「君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」と日本の国歌に歌われた、あのさざれ石である。建国記念のこの日にさざれ石に出会うとは――。あの「君が代」の歌は小学校の頃から何度となく歌わされてきたが、子供の頃はその意味がわからなかったものである。「サザレイシノイワオトナリテ」を僕などは小さな石が大きな「岩音」を鳴らすのだろうなどと思っていた。そのさざれ石がこれである。説明書きによると、「長い長い年月の間に石灰岩が溶解して小石を結集しつづけて巌となりました。壮大に発展する象徴として目出度い石とされています。」とある。なるほどそうであったのか、と近づいて見てみると確かに小さな石灰岩が集まってできている。それに苔も生えている。こうなるまでどれ位の年月が必要だったのだろう。「君が代」の歌詞を書いた人は、何と壮大な、地球規模の時間でもって天皇の御代を讃えたことかと、今さらのように驚く。いろいろな議論はあると思うが、あの世界的に日本を代表するようになったメロディと共に、この歌詞も世界に誇ってよい美しいものであると思う。

さて、更に奥に進むとまた鳥居があって橋がある――と、いうことは、そう、先程別れた意宇川の流れをここで再び会うことができた。ほんとに気持ちのよい、清々しいという言葉そのままの川だ。暫く、その流れに見入ってしまう。

 

意宇川の清らかな流れ(左)――そのせせらぎは目にも耳にも心地よい(右)


そしていよいよ本殿へと向う。やはり堂々とした、一の宮らしい風格を感じさせる。ここの主祭神は「イザナギノヒマナコ カブロギクマノオオカミ クシミケヌノミコト」というのである。イザナギ、イザナミの可愛がられる御子であり、聖なる祖神熊野大神である食べ物の神様、ということであり、つまりはスサノオノミコトのことである。『出雲国風土記』には熊野大神と呼ばれる神様が何度か現われるが、それは他ならぬスサノオであったのだ。そしてクシミケヌノミコト! 漢字では「櫛御気野命」と記されているけれども、「クシミケ」は明らかに「奇し御食(みけ)」であろう。やはり、スサノオは食べ物の神様、豊穣の神様であったのだ!

 
熊野大社の神門 (左)そして
拝殿(右)

先程バスの中で想像していたように、スサノオノミコトはこの土地の農業を発展させ、それに伴って灌漑や災害対策など生活の全般にわたって基盤を整備し、人々が平和で豊かで幸せに暮らせるような国造りをしたに違いない。いや、ご本人は国造りなどという意識はなかったかもしれない。縁あって結ばれたクシナダヒメ、そして彼女との間に生まれた子供――身近にいる愛する者を幸せにしたいと願い、その為に働いた結果がそうなったのではないだろうか。私たちにとって「国」は遠い存在になってしまった。殆どの人が「国を造る」或いは「国を変える」ということを身近なこととしては捉えていないだろう。が、国全体の平和、人が豊かに生きられる制度などがなければ個人の幸福もあり得ない。その日本の平和も世界の平和なくしてはあり得ない。もし愛する人に向って「君のことをきっと幸せにするよ」と言うのなら、男はその人のためだけとしても世界をよりよく変えるように戦っていかなければならない。この世界のために何ができるのか。自分の持って生まれた能力や素質で何ができるのか。それを考え、実践すること、それこそが愛するということなのではないのか。

スサノオとは愛の人であった、と僕は確信する。それはこの土地のやさしい空気が証明している。そしてそのような人であったからこそこの地域全体の人々の暮らしを豊かにし、大神と呼ばれるようになったのだと。

 
本殿 (左)と鑚火殿(右)


境内をブラブラと見て回る。鑚火殿(さんかでん)がある。スサノオはまた、臼と杵を使って火を起す方法を人々に伝えたと言われていて、その聖なる火を鑚(き)り出すための神器が収められ、その由緒を伝えるのがこの建物ということである。出雲国造は後に今の出雲大社の方に移ったが、今でも国造=出雲大社宮司の職を引き継ぐことを「ひつぎ(=火継、霊継)」と呼んでいて、この熊野大社を訪れ燧臼(ひきりうす)、燧杵(ひきりぎね)を拝戴して火を鑚り出す儀式を行わなければならない。そしてその出雲国造が毎年新しい燧臼、燧杵を拝戴する為に熊野大社に参向するのが有名な鑚火祭である。

更に境内を歩いていて稲田神社を見つけた。そう、あのクシナダヒメを祀る社である。僕はここで何故か照れてしまった。ちょっとした緊張とときめき。まるで初めてデートする時かお見合いに向うようではないか。神社でこんなことを感じる男など他にはいないだろうとおかしくなった。僕は足を進め柏手を打つ――。

[ 奇稲田姫 ]

ああ やっと会えましたね
ずっと会いたいと思っていたのです
そしてお聞きしたいと思っていたのです

あの方があなたをどのように愛したのかを
あの方がどうやってこの国を創っていったかを
そう
あの方がどういう人であったのかを――

暖かい
包み込むような空気の中で
あなたの答はただ一言


あなたのやさしい微笑みを受けて
僕はまた歩き出す

 

 



稲田神社

 

それからここには稲荷神社もあって、そこには例によって一対の狐がいる。よく見ると変わった顔をしている。この狐もまた小泉八雲の気に入るところであったろうか。やはり『日本の面影』に収められた「狐」という文章の中で八雲は稲荷神社や狐のことについて触れている。これらの狐は同じく英語で日本を世界に紹介したチェンバレン教授などは醜悪なものとしたらしいが、八雲はその奇っ怪とも言える顔の様々なヴァリエーションに非常な関心と親しみを隠さない。お稲荷さんなんて言うと狐憑きなどという連想などもあって、僕はあまり稲荷信仰については詳しく知らなかったのだが、今回八雲を改めて読み直して、彼の文章で初めて稲荷信仰のことについていろいろと知らされた次第である。



稲荷神社には不気味なような愛嬌のあるような狐が


さてこの稲荷神社に祀られているのは、スサノオノミコトの御子、ウカノミタマノカミ――やはり同じく食べ物の神様である。そう、ここ熊野大社は愛と豊穣とによって人の幸せを実現した人の、いや神の精神に満ちた場所なのであった。

今日は折しも建国記念日。参拝の人々に境内は溢れてきた。「建国記念の日」の幟を掲げた団体客もいる。拝殿には多くの人が整然と座っている。やがて――神官が力強く太鼓を叩き鳴らす。その響きに外にいる僕の体も内から震う。大きな力に満たされるのを感じながら、僕は大社を後にした。

そしていよいよ、松江市街へと戻る――。


つづく


*' *' *' *' *' *' *' *' *' *' *' *' *' *' *' *' *' *'


当サイトに掲載されている作品の著作権は
全て「恋歌」編集部に属します。無断転載、複製を禁じます