【メールマガジン「恋歌」第65回】
2004.03.25

 

[ めざめ ]

湖を渡る 強いけれどやさしい風に
青い空に湧き立つ白い雲に
そして
この世の全てに生きる力を与える
高く輝く太陽に

何千年も何万年も前から
そしてこれからも永遠に変わることのない
これらの存在に
古代からの息吹を感じる

この国を創りし人々
どんな困難も乗り越え
愛する人のために この国を創りし人々
その同じ土地で
同じ風と 同じ太陽の光を浴びながら
僕の身体の奥深くに眠る
魂が目覚めはじめる――

この時代に
この国に生まれたことに感謝して
今また 新たなる
国創りの時――


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松江に戻ったのはお昼過ぎだった。催し物までまだ時間がある。会場はお城の近くだったが、まずその場所を確認し、それから小泉八雲の住んだという武家屋敷へと向うことにした。そこもまたお城の近くにあり、ここからはちょうどお城を挟んだ反対側になるのだが、まぁ、行って帰って来るのに十分な時間はあるだろう。

そこへはお城の濠に沿って歩いて行く。お城の裏側あたりになると江戸時代の武家屋敷が通りに沿って続く。きっと有事の時、お殿様からのお呼び出しがあった時、すぐに駆けつけられるようにこうしてお城のすぐ側に住んでいたのだろう。そうした武家屋敷の並びの一つに小泉八雲の旧居がある。そこは、『日本の面影』の「日本の庭で」に記された、あの住居であり、正にそこに書かれている通りの場所に、書かれている通りの風景の中に存在していて、100年以上の時間が経っていることを全く感じさせないのだった。

入場料を払って家の中に入ると、そう、彼のお気に入りだった庭たちが三方を取り囲んでいた。僕は3つの部屋が一度に見渡せるからとやはり彼のお気に入りだった真ん中の部屋に座って、八雲が見た風景を見ようとした。――日本の庭は西洋の庭園とは違う。欧米では自然とは人間の生活とは厳しく対立する存在であり、庭園というものは人間の生活空間の中に、花であったり野菜であったり、人間のある目的をもって人工的に整備された場所なのである。それに比べ、日本人は常に自然を身近に、もっと言えば自然と溶け合って生きてきた。自然にあるものを、そのあるがままの美しさをそのまま活かして庭は造られた。人がその中を通るための道となる石ですら、切ったり磨いたりはせずに、石そのままの形や風合いを活かして並べられた。八雲はこうした庭の木々や石や池などを眺めながら、人間とは本当はどう生きるべきなのかを考えていたに違いない。キリスト教ではない、ギリシャの神々を知る母を持ち、世界の各地を旅して回った八雲は、この日本の松江という土地に来て、その答の手がかりを見出したのだろう。

 座敷から見た南側の庭(左)――その庭の塀の向こうから子供たちの笑い声が(右)


「私はすでに自分の住居(すまい)が気に入り過ぎてしまった。毎日、学校のつとめを終えて帰って来て、教師用の制服を格段に着心地のいい和服に着がえた後、私は庭を見下ろす縁側の日蔭にくつろぐ。その簡素なたのしみは五時間の授業の疲れをつぐなって余りあるものに思われる……。」(仙北谷晃一訳「日本の庭で」)八雲はそう書いた。そう、僕は今、八雲が気に入り過ぎたという家の座敷に正座して庭を見、衝立や掛け軸を見、改めて、ああ、日本の家が実現している空間とは何と心やすらぎ、癒され、頭が冴え、精神が集中してくるのだろうと気づくのだった。

そして、八雲の書斎に入る。ここに座って八雲はあの『日本の面影』などの著作を書いたのだ。この部屋から、英語という、全く異なる風土で生まれた、異なる文化、異なる精神や論理の構造を背景に生まれた言語を用いて日本という国の風土の美しさ、人々の心、生き方の豊かさを、驚きとそれに出会えた喜びをもって世界に伝える数多くの素晴らしい文章が生まれたのだ。私は同じ物書きとして、子供の頃からずっと気になっていた八雲の仕事の現場に自分がいることに感激しながら、胸の裡にはっきりとした気持ちが、意志が生まれてくるのを感じていた。――あなたがそうしたように、僕もこの国の素晴らしさを、この国を生み出し、育ててきた精神を、魂を、生き方を、世界に向って伝えていく、と。

 

小泉八雲の書斎(左)と北側の庭(右)


僕はもう一度南側の庭に面した縁側へと戻り、その風景に見入った。と、キャアキャアと甲高い子供たちのふざけたり歌ったりする声が庭を囲む塀の向こう側から聞こえてきた。僕はその無邪気に戯れる子供たちの声を聞きながら、これも八雲の聞いた音ではなかったかと思った。『日本の面影』のそこここに、八雲の子供たちの遊びや歌への強い関心、いや、それ以上に子供たちへのやさしい眼差しを見ることができる。あの、明け方に聞いた鳶の「ピーヨロー」と同じく、この子供たちの無邪気な笑い声も、100年前と、いや、もっと遙か昔、何千年前と同じものだろうし、そしてこれからの何百年、何千年先にも同じように聞かれるものであろう。人の世が、人の心が、いかに遷っていこうとも、こうしたものを決して絶やしてはならない。この子たちの笑い声を守りたい。未来を担うこの子たちが安心して、元気で幸せに生きていける、そんな世界を早く実現したいものと僕は思った。

八雲の旧居を辞すると、小雨がパラついていた。お城の濠と武家屋敷に沿った道を市の中心へと戻る。小雨というのにお濠には観光用の屋形船が何艘か出ていた。これは江戸時代さながらに船頭がお濠を巡らしてくれるもので、豊かな森や武家屋敷が並ぶその景色を考えると、もっと時間に余裕があったら、そして好きな人と一緒に乗るのだったら、大層面白かろうと羨むのだった。
が、僕はここに観光に、遊びに来たわけではない――。僕は本来の目的を果たすべく、歩みを早めた。


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先に僕は、今回松江を訪れたのはある催しに参加するためだと書いた。その催しとは、「本音で生きて下さい」と題された講演会である。講師は高麗恵子(こうまけいこ)さんで、高麗さんはご自身の体験をもとにした同じ『本音で生きて下さい』という本を出版されていて、今回の催しはこの本を読んだ方に、直接高麗さんに会って話を聞きながら、参加者一人一人がそれぞれの本音に気づき、それを仕事や家庭生活、社会の中で活かしていくきっかけとなればと企画されたものだ。

「本音」というとすぐに「本音」と「建前」という対立する言葉を思い出される方が多いだろう。が、高麗さんの言う「本音」はそういうものではない。また、「本音」を表現したら我が儘になってしまうのではないか、或いは周りとぶつかってしまったり、仕事ができなくなってしまうのではないかと考える人も多いと聞くが、高麗さんの言う「本音」はそうしたものでもない。
高麗さんによれば、「本音」とは自分の内側から湧き出て来る気持ちであり、それは生命の要求であるという。生命の要求であれば当然、健康になり、物事も自然にうまくいくようになるだけでなく、生命は人間であれば誰にでも共通であるので、それは立場や言葉や思想、宗教、文化の壁を越えて、誰にでも通じ、分かり合えるものだという。

しかし、長い人類の歴史の中で、本音を隠したり押し殺したりしないと生きられない状態が続いてきたのも事実であり、結果、多くの人は自分の本音が何であるかわからなくなってしまっている。講演会では時代は大きく変わり、今は本音を表現して、自分の素質や能力を現実の仕事や社会の中で活かし、世界中の人々の役に立って生きることができるようになったことが語られる。今一人一人にとって自分の本音に気づくことが必要なのだ。

高麗さんはその名前が表す通り、古代朝鮮に東アジア最大の強国を築いた高句麗の王の末裔である。高句麗は天をこの地上に実現することを理念として建国され、民が一人でも不幸であったら王は王としての資格を失うという国であった。
何という高邁な精神だろう。現代の世界を見渡す時、いや、世界と言わず、自分の身の回りを見てみればすぐに、必ず誰かが犠牲になっていることで会社でも社会でも成り立っているということに気づくではないか。誰かの利益は必ず誰かの不利益になる、それを必要悪として容認しているのが現代の人間社会なのではないだろうか。全ての人が幸せになることなどあり得ないと。しかし、このことを現実に行った国がかつて存在したのであり、実際、この精神によってこそ高句麗は700年とも800年とも言われる、中国のどんな王朝よりも長い繁栄を見たのであった。世界中に様々な問題が溢れ、山積している今、僕たちが実現しなければいけないのはこうしたどんな人も犠牲にならない、どんな人でも幸せに生きていける世界である。

そういう世界なら、きっと誰もが求めているに違いない。が、同時に、そうやって社会を、日本を、世界を変えていくということになると、自分はその任でないと、誰か他の人がやってくれるものと思っている人が大部分ではないだろうか。しかし、いつか誰かが、ではいつまで経っても実現しないということは誰でも気づくだろう。そして、前にも書いたよぅに、世界全体が平和でなければ、個人の幸せもあり得ないことも誰もが気づくことだろう。側にいる、自分の愛する人を幸せにしたいと思えば、まずこの世界を幸せにしなければならないのだ。

だが、一体どうやってそれを実現できるというのか――? その答がこの講演会のテーマでもある本音にある。本音が生命の要求なら、それはどこの誰とでも、世界中に通用するものなのだ。先に、世界には様々な問題が山積していると書いたが、それは同時にそれだけの問題を解決する仕事があり、その能力を持った人が求められているということでもある。僕たち一人一人、異なる素質や能力を持った人間が、それぞれの生命の要求に基づいてこうした能力を世界に向けて発揮していくならば、個人の幸せも世界全体の幸せも同時に実現できていくに違いない。

そう、新しい世界の創造、新しい国創りは、他の誰が行うのでもない、僕たち一人一人が自分の本音に気づいて、自分の素質や能力を仕事や社会の中で具体的に活かしていくことに始まるのだ。『本音で生きて下さい』という本を読んだ人たちが高麗さんの話を聞きながら自分の本音について考え、気づいていくというこの催しは、建国記念のこの日に相応しい、正に新たなる国創りの式典となったのであった。

では、その本音に気づいたり、それを実現するにはどうしたらいいかということについては、高麗さんの本を読んだり、講演会で実際に高麗さんと出会って掴んでほしいと思う。それは、この本音に気づくということが単なるノウハウ的なものではなくて、経験するものだからだ。


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講演会が終ると夕刻であった。まだ日没までには時間があったが、僕は宍道湖の嫁ヶ島が見える所を目指した。ご存じの方もあると思うが、ここの夕日は日本の三大夕日の一つと言われているのだ。これを見ないわけには、そして写真に収めないわけにはいかないだろう。実のところ、ここの夕日の美を見出したのも、これまた小泉八雲であった。彼は雑賀――これも紀州にあるのと同じ地名だ!――というこの辺りのよく散歩したそうである。

私は夕日を待った。が、どう見ても分厚い雲が空を覆っていて、太陽は雲の切れ間を通してしか拝むことができない。日の出もそうだったが、夕日もそうかよ、自分はついてないなぁ、こんなに雲が一杯出てる日にぶつかるなんて――と、そこまで思いを巡らした時、はたと気づいた。そうか! そうなのだ! 「八雲立つ出雲」というのは、正に沢山の雲が湧き上がるこの土地の特徴をそのまま地名としたものではないか! 僕はおかしくなって独り笑ってしまった。最初からわかっていたはずではないか。そう、言葉としては知っていたかもしれない。が、結局は「八雲立つ」は「出雲」に掛かる枕詞ですよ、みたいな、学校で覚えた程度のことでしかなかったのだ。今、この出雲の地で朝となく夕となくもくもくと空を覆うこの雲たちに接してこそ、「八雲立つ出雲」という言葉が生きた言葉として、自分自身の体感として生きてくるのである。

果たして、夕日らしい夕日になったのは一瞬であった。もっといい写真が撮りたいものと、僕は待った。が、そんな個人的な思いで天が動くはずもない。雲が切れることは遂になかった。太陽はどんどん沈んでいく。ああ、もうダメだ、と思ったその時、水平線すれすれに靄を通してうっすらと太陽はその最後の赤さを見せた。墨絵のような、ぼんやりとした海と空に漂うような嫁ヶ島、そしてその向こうにかすかに赤く滲む日輪――僕にはその幻想的な光景がとても貴重な、神々しいものに思えた。

 
雲の絶え間に一瞬現われた夕日(左)――そして島の向こうに沈んでいく
(右)

 

太陽は沈んだ。この城下町に紺色の闇が訪れる。まだ帰りのバスまで時間はある。僕は「神々の国の首都」に描かれた大橋や船着場など、八雲の息吹を感じながら街をぶらぶらと歩いた。

やがてバスの出発の時間が来る。僕はまた夜見の国を抜けていくのだろう。そしてその長いトンネルを抜けた所には、僕が生活している東京が、僕の愛する人たちがいる東京がある。この出雲の国で神々と出会い、高麗さんの講演会に参加した僕はそこで何をするのか――。いや、答はもうわかっている。

そう、今、新たなる国創りの時。


―了―


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*本文中に紹介されております高麗恵子さんの本の詳細は次の通りです。

●著者:高麗恵子(こうまけいこ)
●タイトル:本音で生きて下さい
●出版社:株式会社いだき
●定価:1,890円(税込み)
●ISBN4-901128-00-0

全国の書店でご注文頂ける他、次のサイトでオンラインで注文できます。
http://www.idaki.co.jp/jp/cargopro/shop.html

また、講演会についての情報は次のサイトをご覧下さい。
http://www.idaki.co.jp/jp/honne/


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