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        * * *番外編 第七回 * * *


いよいよ盛夏となりましたね。

さて、第7回は「恋のはじめ方」です。
かつて、女性は男性に名前を聞かれても
名前を 教えなかったという、その秘密はいかに?

では、タンゴ黒猫さんに、ご登場願います。


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こんにちは、タンゴ黒猫です。

万葉時代の恋について書いて参りましたこの番外編、4月22日にスタートしました時
は6回の予定でしたが、この間、僕自身に起こりました経験や心境の変化、『万葉
集』について更に知ったことなどがありまして、前6回では書くことのできなかった
テーマについて書けるようになってまいりましたので、更に6回、合計全12回として
送らせて戴きたいと思います。引き続きご愛読頂けましたら嬉しい限りです。


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   第7回 恋のはじめ方


ところで、恋ってどういう風に始まるんでしょうね。

典型的なラヴ・ストーリーと言えば、僕なんかはやっぱりシェイクスピアの『ロミオ
とジュリエット』とか、ヴァーグナーの『トリスタンとイゾルデ』とか思い出します
が、この二つに共通してるのは、主人公の二人が互いに見つめ合って、二人の中で同
時に、相手に対する恋心が生まれるという、つまり会った瞬間から両想いなんです
ね。(『トリスタン』の場合は間に「愛の妙薬」なるものが介在しているけれども、
この際そのことは無視しておこう。)いやぁ、全てこうだったらいいですね。

最初の瞬間から両想いとは限らないから恋って厄介ですよね。恋している相手からは
好いてもらえずに、大して好きでもない別の人から恋われたりするということが往々
にしてあります。それから、結局は恋になっていく二人の場合は、やっぱり多少は最
初の瞬間にお互いに対する好意のようなものはあるのでしょうけれど、そのままでは
恋へと発展していかないんじゃないでしょうか。なかなか、トリスタンとイゾルデみ
たいにいきなり抱き合う、なんてことはないですよね。むしろロミオ型の方が多い。
出会って、別れた後悩んで悩んで、そして仕掛ける、っていうのが必要でしょう。出
会っただけでは恋にはならない。男からでも女からでも、どちらかから「仕掛ける」
ということがあって初めて恋に発展していくと思うんです。恋は始めなければ始まら
ない。

それでは、その仕掛ける対象ですが……。僕の場合は、いわゆる「ナンパ」というの
は苦手ですね。やっぱり学校のクラスメートだったり、会社の同僚だったり、取引先
の人だったりと、既に何らかの関係ができている人に声をかける場合が多いです。な
かなか街で見かけていいな、と思う人に声をかけるなんていうのはできません。特に
最近はいろんな事件も多いので、すぐにストーカーだ、痴漢だ、ヘンタイだ、と、犯
罪者かよくても精神異常者扱いされてしまいます。

ところがですね、万葉の場合は、やっぱり、ナンパがメインなんですね。ナンパなん
て言うと怒られちゃうかな。「婚(よば)ふ」と言いますが、これは勿論、名前を呼
んで(呼ばふ)、求愛することから来ています。で、名前を呼ばないといけないです
から、名前を知らないといけないわけですね。そこで、素敵な人に出会ったら、まず
は何をおいても名前を聞き出さないとダメですね。どこの家の誰なのか。で、女性の
側としては、この人なら大丈夫という確信が持てるところで名前を名乗ってイエスを
出すわけです。

実は、『万葉集』全二十巻の冒頭を飾るのは雄略天皇の歌なんですけど、これが、こ
の歌集を象徴するかのように、ナンパ、いや婚いの歌なんですね。天皇のナンパの歌
で始まるのが『万葉集』なんです。それで、この歌がこの時代の恋の始め方を象徴し
ていると思われますので、ここにご紹介します。

籠(こ)もよ み籠もち
掘串(ふくし)もよ み掘串もち
この岳(をか)に 菜摘(なつ)ます児
家聞かな 名告(の)らさね
そらみつ 大和(やまと)の国は
おしなべて われこそ居(を)れ
しきなべて われこそ座(ま)せ
われこそは 告(の)らめ
家をも名をも

これは新春の若菜摘みの時の歌ですね。若菜摘みはどうやって行っていたのか、僕は
詳しくは知らないのですが、この歌によると、へら(堀串)で摘んで籠に摘んだ若菜
を入れていっていたのでしょう。「籠もよ」「掘串もよ」の「も」も「よ」も感動を
表す言葉で、僕が考えるに、これは、ぱっとその子の持ち物で真っ先に目に入ったん
でしょうね。「あっ、何てかわいい籠なんだろう!」って感じじゃないでしょうか。
その後の「み籠もち」「み掘串もち」の「み」は美しいものにつける言葉ですから、
四行目までの意味はこんな風になるでしょう。

<あっ、あなたの籠、なんてきれいな籠をお持ちなんでしょう
それからあなたのへら、なんてきれいなへらを持ってらっしゃるんでしょう
この丘で 若菜を摘むかわいい人よ
あなたの家はどこか聞きたいな お名前を教えて下さい>

今でもそうですけど、と言うか、僕もそうですけど、大体女性に対してその持ち物を
誉めたり、着てる服とか髪型とか誉めだしたりするのは、その女性に関心がある証
拠、あなたのこと好きですよ、というサインですね。で、雄略天皇の場合は、籠とへ
らを誉めて、それからどこの家の何という名前なの? と聞くわけです。昔のことで
すからね、誰の家の子なのかを聞けば、その子のことを突き止められるわけですよね。
僕らがナンパする時は、最低名前と電話番号、できれば住所、生年月日、血液型、星
座まで聞ければいいんですけど、どこまで教えてもらえるかでつき合いの深さが決まっ
てきますよね。万葉の時代は誰の家の何という名前か言ってしまったら、男の人が夜
家に訪ねてくるわけですから、もう交わるところまでOKしたのも同然なわけです。

ですからすぐに名前を言うか、というとそうではないんです。たとえ相手が気に入っ
ても、まずは断るか返事をしないというのが普通です。断られて、あ、そう、と引き
下がるような男は、その程度しか自分のことを思っていないということなので、もう
相手にしません。だけど、男というのは愚かなもので、本当にその人のことが好きな
場合は、断られてますます気持ちが高ぶるものなのです。それから、一番苦しむの
が、返事がない、というやつですね、これは自分のことをどう思っているのか、期待
と絶望とが交錯し、悶々とし、やっぱり思いが強くなっていきます。万葉の時代の女
性はこのことをよくわかっていて、まず最初は断るか、返事をしないかするわけです。

雄略天皇の場合はどうだったんでしょうか。上の歌で五行目からは自分が名乗ってま
すので、四行目との間に女性の反応があったと思うんですが、この歌からはわからな
いですね。そこで、ちょっと別の歌を見て参考にしてみましょう。これは巻第十二に
問答歌としてあるものです。(3101〜3102)愛や恋の歌はそれまで「相聞」という分
類できたのですが、ここで問答歌というのが出てきまして、これも恋の歌なんですけ
ど、全て男女の歌のセットになっいるのが特徴です。

紫(むらさき)は 灰指すものそ
海石榴市(つばいち)の 八十(やそ)の衢(ちまた)に
逢へる児(こ)や誰(たれ)

<紫は灰汁を混ぜてこそ美しい紫となるように
女は男と一緒になってこそ美しくなるものでしょう
灰にする椿の 海石榴市の八十の辻で出逢った
あなたは誰なんでしょう 名前を教えて下さい>

という男の歌に対して女はこう答えます。

たらちねの 母が呼ぶ名を 申(まを)さめど
路(みち)行く人を 誰と知りてか

<たらちねの母が呼ぶ名前を 言ってもいいんですけど
通りすがりのあなたこそ 一体誰なんでしょう
あなたの方こそ名乗って下さい>

思うに、多分、雄略天皇の場合もこんな答をもらったんではないでしょうか。万葉の
時代は、男性が女性に声をかけるのがルールですから、まず男性があなたのことが好
きだ、名前を教えて下さい、と言う。そして女性があなたこそ誰なのよ、自分から名
乗ってよ、と答える。そして男が名乗って、女に返事を迫る、というパターンだった
ようですね。

それで、雄略天皇の歌に戻ります。後半五行目から、天皇は自分の正体を明かすわけ
ですね。

<天空に聳える大和の国を
隅から隅まで従えているのは他ならぬこの私なのだ
隅から隅まで支配しているのは他ならぬこの私なのだ
この私こそ名乗りましょう どこの家の何という名のものか>

天皇ですよ、というわけですね。なんという名乗りでしょうね、これは。これでこの
子は靡いたのかしら。それとももう一度断ったのでしょうか。恋歌を購読されてる女
性の皆さんだったらどうでしょうか。天皇からこのように求愛されたら……。

いずれにしても、何とも大らかですよね、万葉の時代は。これ位自由に声をかけあっ
て男女が情を交わしあっていったら、人間関係はほんとに豊かになり、社会全体も豊
かになっていくだろうなぁ、とも思います。あまりにも荒んでますよね、現代は。
さっきも言いましたけど、今の時代に街角や電車の中で、気に入った女性に声をかけ
たりなんかしたら変態と思われるのが落ちですよ。その一方で、出会い系サイトや各
種パーティーが盛り上がり、ホストクラブが流行る……。全て、どこか、昏(くら)
い。明るく、健康的なイメージがないですよ。男女のことが全て産業化されてしまっ
ていて。しかも男女のことが男女のことだけに密閉されてしまっていて、そこから社
会をつくり或いは変えていけるようなエネルギーが生まれてこないですよね。

雄略天皇に戻りますとね、私はその名の通り武勇に優れた猛々しいイメージがあっ
て、この人は、允恭天皇の第五皇子なわけで、天皇になるに当たっては、対立候補の
皇子、つまり兄弟を次々と亡き者にした人であり、中国の史書『宋書』に倭王武とさ
れたのはこの天皇であると言われており、その『宋書』によるとその倭王武は、新羅、
百済、任那などを従えたことが記されている、勇ましく、乱暴で恐ろしいイメージの
人なのですが……。今『古事記』を繰ってみるとそこに記されているのは恋愛沙汰ばっ
かりで、そして『万葉集』の巻頭もこの天皇の求愛の歌となると……。きっと、女性
に対する愛も国に対する愛も熱烈、強烈なものがあったのでしょうね。自らの血族を
殺すことも厭わずに国を平定し、更には朝鮮半島まで進出していく人と、多くの女性
に優しい愛情を表現していく人がこの天皇の中には恐らく矛盾なく存在していたので
しょう。しかし、それは、もしかするとこの時代の人にとっては別に不思議なことで
はなかったのかもしれません。僕らの世代の男はどうも、女性を愛することと、仕事
をすることと、国のこととは全く別物になってしまっていて、その中でバランスをと
りながら、言葉をかえると、どれかが優位になるとどれかが疎かになってしまうよう
に生きてしまってますけど、本当は、愛するということはその全てを満たすことであ
るのかもしれないですね。

万葉の時代と現代の恋のはじめ方、ナンパの仕方について書きながら、そんなことに
まで考えが及んでしまったタンゴ黒猫でありました。

さて、文中で触れました問答歌、男と女のやりとりが面白く、当時を感じさせるもの
あり、今に通じるものもありです。次回はこの問答歌を「男と女のハーモニー」と題
して見ていきます。お楽しみに。


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番外編第七回いかがでしたか?

「恋歌」番外編は第一、第三月曜日発行です。


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2002.7.15 「恋歌」番外編第七回発行号


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