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          * * *番外編 第五回 * * *


小ぬか雨が心に優しい今日このごろ、、
皆様どんな心情でお過ごしですか?

番外編もいよいよ5回目となりました。

愛するがゆえに生まれてくる嫉妬。
恋をもっともドラマチックに盛り上げる、無くてならない感情でもあるのですが、、
ひとたび嫉妬に取り付かれるとこれまた一つの地獄ですね。嫉妬をどう捉えるか
は恋するものたちには避けて通れない問題でしょう。

さてさて、、万葉の方々はいかに。大変興味深い第5回です。

第5回 悲しみの磐姫

皆さん仁徳天皇のお名前はご存じでしょう。仁徳天皇というと、まず思い出すのが小
学校の歴史の時間に習った、大阪府堺市にある巨大な前方後円墳ですね。ピラミッド
よりも大きい世界最大の墳墓だと習いました。非常に美しい印象的な形は一度見たら
忘れられません。

次に『古事記』にあるこんな話でしょう。ある時天皇が高い山に登って国中を見渡し
て、こうおっしゃった。「国の中に煮炊きをする煙が上がっていない。これは国民が
皆貧しく困窮しているからだ。因ってこれより三年の間、全ての国民から税金と使役
の義務を免除するように。」この為、宮廷は壊れたところがあっても全く修理せず、
雨が漏るようになっても漏ったところを直さず器で雨を受け、天皇はそこを避けて住
まわれた。こうして三年、再び山に登って国を見渡すと、今は国中に煮炊きの煙が
上っている。これを見て天皇は国が豊かになったと思し召し、改めて税金、使役の義
務を課した。人民は栄え、使役を苦とは思わなかった。そして仁徳天皇の御代を称え
て聖帝(ひじりみかど)の世(よ)と呼んだ……。

大変立派な天皇であられたようですね。ところでこの天皇の奥さん、皇后の陵(みさ
さぎ)はどこにあるのでしょう。あの前方後円墳に一緒に葬られているのでしょう
か。あるいはその近くに? 実は遠く離れた、今の奈良市、平城京跡の東北の山の辺
りにあります。僕も飛鳥地方を旅行した同じ時にここを訪ねましたが、実にひっそり
とした所で、陵を囲む静かな堀の上に鬱蒼と木が生い茂っています。あまりに静か、
そしてあまりに暗い。波一つ立たない堀を見つめながら、僕は何とも悲しくなってし
まいました。あの気性の激しい磐姫(いわのひめ)皇后は、あんなにも天皇を愛した
のに、こんなにも遠ざけられてしまったのか。そしてこの不気味な程の静けさの中
に、磐姫の抑えがたい嫉妬、恨み、悲しみを今尚感じたのです。

磐姫皇后陵の濠

そう、磐姫は、『古事記』に「とにかく嫉妬深いこと甚だしい方で、天皇の側室達は
宮の中へ入ることができず、ちょっとでも目立った事をしようものなら、足をバタバ
タさせて嫉妬に狂った」と書かれた人です。同じく『古事記』にはこんな話が伝えら
れています。天皇が黒姫という美女がいることを聞き、お召しになったのですが、黒
姫は磐姫の嫉妬を怖れ、国へ逃げ帰ろうとします。天皇は宮廷の見晴らし台から、黒
姫が国へ帰るのに乗っていく船を見、黒姫を惜しむ歌を歌うのです。磐姫はこれにま
た激怒し、港まで使いを遣って黒姫を船から降ろし、歩いて吉備――と言いますから
今の岡山県ですね――まで帰らせたというのです。また、ある時、磐姫皇后は宴会を
催そうと、酒を盛るための御綱柏(みつながしわ)の葉を採りに、天皇と紀伊の国に
お出掛けになります。ところが磐姫が御綱柏を集めるのに一所懸命になっている一方
で、天皇は八田若郎女を婚(よば)うわけです。御綱柏を船に積み終えて、さあこれ
から都へ帰ろうという時に、ひょんな事から磐姫は八田若郎女の件を知ってしまいま
す。磐姫の逆上すまいことか、船に積んだばかりの御綱柏を全て海に投げ棄て、天皇
を待たずに船を出し、都のある難波を過ぎて淀川を上り、山代に至り、そこから実家
のある奈良に帰ってしまいます。天皇は使いを出すのですが、その使いに会いたくな
いので、使いが家の表に来ると裏に、裏に来ると表に逃げて避けます。折しも外は大
雨。そうこうしているうちに庭には水が溢れ、使いは溺れそうになる……。あまり詳
しくお話しているとこれだけで終わってしまいますので、詳しくは『古事記』を読ん
でみて下さい。いずれにしても凄まじいイメージの連続ですね。

こんなにも激しく嫉妬したのは、やはり天皇への愛の深さ、というか天皇を恋する気
持ちの激しさの表れでしょう。その磐姫皇后の歌とされる連作が『万葉集』巻第二の
巻頭を飾っています(85〜88)。

君が行き 日(け)長くなりぬ
山たづね 迎へか行かむ
待ちにか待たむ

<あなたが出掛けて行ってから もう何日にもなります
山路を歩いて 迎えに行こうかしら
それともこのまま 待ち続けていたものかしら>

「迎へか行かむ 待ちにか待たむ」という表現に、じっとしていられない心の動きが
手にとるように感じられます。これは今を生きる僕らも同じような経験をし、共感で
きますね。

かくばかり 恋ひつつあらずは
高山の 磐根し枕(ま)きて
死なましものを

<こんなにも あなたへの恋ゆえに苦しんでいないで
高い山の岩を枕にして
いっそのこと 死んでしまえばいいものを>

おお。先程のじりじりと待っているところから、もう待てない、こんなに恋が苦しい
ものならば死んでしまいたい、と狂おしくなってきました。その狂おしさ、僕にも経
験あります。ハイ。

ありつつも 君をば待たむ
打ち靡(なび)く わが黒髪に
霜の置くまで

<いや やっぱり死ぬのではなく このままずっとあなたを待っていよう
打ち靡く私の美しい黒髪が
霜を置いたような白髪のお婆さんになるまででも>

先程は「死ぬ」と言い、今度は「お婆さんになるまででも待ってやる」と来る。やは
り激しい。殆ど恨みに近いですよこれは。男としては……そこまで愛してくれるのは
嬉しい気もするけど、ここまで来ると恐い。仁徳天皇でなくても、やっぱり僕も逃げ
たくなってきたな。この歌で思い出すのは、戸川純さんが歌うシャンソンの「さよな
らをおしえて」ですね。「私は待っているわ〜」という有名なこの歌に次のセリフが
入るのです。

例え私が交通事故で死んでも
ほっとしちゃいけない
幽霊になってもどって来るわ
貴方の名前を呼ぶ為に

同じ恐さがあります。(因みに戸川純さんが歌うリフレインの「さようなら」は「さ
ようなら」になってません。「あたしはあなたのこと絶対離さないからね」という脅
迫のような「さようなら」です。ご興味ある方はどうぞ聴いてみて下さい。『好き好
き大好き』というCDに入っています。)

閑話休題。磐姫皇后の歌に戻ります。

秋の田の
穂の上(へ)に霧(き)らふ 朝霞
何処辺(いつへ)の方(かた)に わが恋ひ止(や)まむ

<秋の田の穂の上にかかる朝霧が晴れることなく漂うように
私の恋の苦しみが晴れるところは どこにもないのだ>

切ないですねぇ。これらの歌は、『古事記』に書かれた磐姫皇后の嫉妬深さの裏返し
としての、仁徳天皇への愛の深さを裏付けていると思います。しかし、それだけ
に……。

それだけに、奈良の地にある磐姫皇后の陵の恐ろしいまでの静けさは、僕には悲しく
思えるのです。

次回は東歌の世界を紹介します。お楽しみに。

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付記

この稿を書いた後、昔読んだ犬養孝さんの『万葉のいぶき』(新潮文庫)をパラパラ
めくっていて、気づかされたことがありましたので、ここに記しておきます。万葉の
時代は、夫婦でも別居生活が普通で、男は夜になると女の許に通い、朝になると帰っ
て来るわけですが、大体片道4km位の道のりを奥さんまたは恋人の許まで歩いて通っ
たわけなんです。一方、女の方は男が来るのをわかってて待つわけなんですけど、犬
養さんによると、部屋の中で待ってないで、門の外に立って待ってた、というんです
ね。男としては嬉しいですよ、これ。夜陰に紛れてせっせと歩いて、奥さんなり恋人
の家が近づいて来る、と、門のところに愛しい人が立って待ってくれている……。最
高ですね、これ。

それで、の磐姫皇后の歌だ、というんです。つまり、上で紹介した

ありつつも 君をば待たむ
打ち靡く わが黒髪に
霜の置くまで

は、私は「霜の置くまで」を「白髪になるまで」と読みましたし、中西先生もそう読
んでおられるようなんですけど、犬養さんが指摘された事実を考えると、これ、文字
通りなんですね。

<このままずっとあなたを待っていよう
夜が更け、明け方になって
打ち靡く私の美しい黒髪に霜が降りる頃になっても>

つまり、一晩中立って待ってますよ、ということなんですね。これはこれで、すご
い。やっぱり壮絶な光景ですよ。そして、更に朝になり、霧が降りて、辺り一面が
真っ白になり、見通しがきかなくなる。それでも愛する人は来ない。そこで、

秋の田の
穂の上に霧らふ 朝霞
何処辺の方に わが恋ひ止まむ

の歌となるわけですね。そうするとこの歌も具体的な光景です。ああ、この霧はまる
で私の晴れない心のようだ、というわけですね。男としては、女の人をこんな風に待
たしちゃいかんです。ねぇ、そう思いませんか、仁徳天皇!

男は愛する女のために毎晩、毎朝せっせと歩き、女は家の外で男を待っていた――万
葉の時代の男女って、やっぱり真剣に相手のことを思いやり、愛し合っていたんだ
なぁ、とつくづく思うのでした。

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番外編第五回いかがでしたか?

「恋歌」番外編は第一、第三月曜日発行です。


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2002.6.17 「恋歌」番外編第五回発行号


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