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      * * * 番外編「男と女の古事記伝」第11回 * * *
              2004.1.8

 こんにちは。
 新しい年が明けて早1週間が過ぎました。
 みなさん、このお正月をどのように過ごされましたか?

 恋歌番外編、新年初の配信は
 『万葉集』の冒頭を恋の歌で飾った
 あの雄略天皇の物語です。

 『日本書紀』では激しい気性で恐れられ、
 大陸にまで進出して朝鮮半島の国々を従えたとされるこの天皇に
 一体どのような恋のエピソードがあったのでしょうか。

 どうぞご賞味下さい。。。


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    第11回 恋も戦もハンパじゃない


 さて、今回は雄略天皇の登場です。

 そもそもこの『男と女の古事記伝』を書こうと思い立ったのは、この天皇によるとこ
 ろが大きいのです。以前、『万葉の恋歌を訪ねて』を連載した時に、『万葉集』の一
 番最初の歌が雄略天皇の歌だったのですが、この歌の背景を詳しく知ろうと思って本
 棚にあった『古事記』をパラパラとめくっていて、学校の歴史の時間には大陸まで攻
 め入ったと聞かされた勇ましいこの天皇にあって、『古事記』が記すところでは大陸
 関係の記事よりも女性関係の記事が多いことを初めて知ったのです。それも、笑える、
 というか、マヌケだなぁ、と思える記事が。それまで『古事記』は天皇の神性を表す
 ために書かれたと聞かされていたのですが、それならどうして大陸遠征の記事を書か
 ずに、例えば次の赤猪子(アカイコ)の記事を載せるのか、不思議に思ったのです。

 ある時雄略天皇は遊びに出掛けて三輪川の辺りにいらした時に、川辺で洗濯をしてい
 る美しい乙女に出会います。名前を聞くと赤猪子と名乗るのですが、天皇はその乙女
 に、「お前は夫に嫁するような娘ではない。今に朕の宮に呼ぶから待っておれ。」と
 言って宮に帰ります。そこでこの赤猪子は天皇のお召しを待つのですが、待っても待っ
 てもお召しは来ずに何と80年が過ぎてしまいます。さすがにここに至って気長な赤猪
 子も不安になったようです。「お召しを待っている間に随分と年が経ってしまい、体
 も痩せ細ってしまった。その上、誰といって頼るべき人もいない。だが、このまま大
 君の言葉を信じて今日か今日かと待っていた、この心の内を伝えないでは、心が重く、
 気が塞いで仕方がない。」そこでこの乙女――というより、もうお婆さんですが――、
 婿に贈る引き出物を揃えて天皇の許へと向かいます。

 ところが天皇、そんなことはとっくの昔に忘れ去っていました。「お前は一体どこの
 婆さんだ。一体何しに参ったのだ。」ひどいですね。そんな天皇の言葉にもめげず、
 赤猪子は答えます。「何年何月、大君が私を召すとお命じになり、私はその命を果た
 すべくずーっと待っておりまして80年が過ぎたのでございます。今となってはもう顔
 もスタイルもすっかり衰えてしまいまして、その上頼るべき者たちもいなくなってし
 まいました。が、やはり大君の命を果たしたいと思う気持ちをお伝えしないではいら
 れないとこうして参ったのでございます。」雄略天皇、さすがに驚きます。「朕はも
 うとうにそんなことは忘れてしまっていた。が、お前は朕の命を守り、それを果たさ
 んとずっと待ちに待って、女としての盛りの年を無駄に過ごしてしまったのか。ああ、
 何と悲しいこと、そして何といとおしい女であることよ。」

 いとしさのあまり天皇は赤猪子を抱こうとしますが、「その極めて老いしを憚(はば
 か)りて」、交わることはせずに歌を賜り、そして多くの品々を与えて帰らせたとい
 うのです。

 これと同じように笑える話が『日本書紀』にあります。『日本書紀』は『古事記』に
 比べると政治や外交に関する記述が多く、いかに雄略天皇が凄まじい天皇であったか
 を強調する記述になっていますが、それでも何故か、即位の時の条項にこんな記述が
 あるのです。

 まず即位したことが記され、それに続いて大臣を誰々に決め、誰々を皇后とし、そし
 て誰々を御女(みめ)とした、という記述が形式通りにさらっとされるのですが、そ
 の御女の3人目、童女君(オミナギミ)について、急に詳しくなるのです。童女君は
 もともと采女(うねめ)、つまり天皇の侍女であった。そして天皇が一晩この童女君
 を抱いたことがあったが、そのうち彼女は女の子を生んだのだが、天皇はまさか自分
 の子とは思わず、認知しなかった。ところが、この女の子が歩き出すようになった時
 のこと、たまたま宮の庭を歩くこの女の子の様を見て、物部目大連(モノノベノメノ
 オオムラジ)が言うよう、「何と美しい女の子であろうか。昔の人が言ったように、
 『汝人や母似(ナヒトヤハバニ)』、あの子はとてもお母さん似ではありますまい。
 聖なる庭をしめやかに歩くあの姿を見て、誰が女の子と思うでしょう。」天皇、「お
 前、一体何が言いたいのか。」と目大連に聞きます。「私があの子の歩く様を見ます
 ところ、大君にそっくりでございます。」天皇、「あの子を見る者はみなそのように
 言うのだ。だがな、あれの母親を抱いたのはほんの一晩のこと、それで身籠るなど普
 通はあり得ないことだ。それで朕の子ではあるまいと思うのだ。」

 これに大連は突っ込んだ質問をします。「然らば一宵(ひとよ)に幾廻(いくたび)
 喚(め)ししや。」つまり、その一晩で何回ヤッたんですか、ということですね。こ
 れに天皇が答えるには、「7回じゃ。」大連はこう言います。「この女の子は神かけ
 て、大君が一晩交わって生まれた御子にございます。何を以て、清廉潔白な乙女をお
 疑いになり、お厭いになられるやら。私が聞きますところでは、孕みやすい女子は男
 の袴がその身に触れただけで子をなすといいます。況んや、大君のように一晩中、7
 回戦もしたのでは――軽々しく人を疑ったりするものではございませぬ。」

 この大連の言葉を受けて、雄略天皇はこの女の子を認知して皇女(ひめみこ)とし、
 母親の采女を御女(みめ)とした、というのです。

 こうした挿話が、お堅い『日本書紀』にも忘れられずに記載される程、雄略天皇は女
 好きであり、同時にその人間的なところが民に慕われ、人気を誇っていたのではない
 かと僕は想像しています。『万葉集』開巻冒頭に選ばれたのは雄略天皇のナンパの歌
 でした。そして、やはり『万葉集』の連載の時にご紹介した、天皇がある乙女を婚
 (よば)いした時に、その乙女が、今家を出ると親が気づくので、と歌った歌、あの
 歌も「隠口(こもりく)の/泊瀬小国(はつせをくに)に/よばひ為(せ)す/わが
 天皇(すめろき)よ」とありましたが、泊瀬というと雄略天皇の宮があった所、この
 歌もきっと雄略天皇を想定している歌なのでしょう。案外、乙女たちの方でも、今晩
 あたり私のところにいらっしゃるかしらン、と期待していたり、ねぇねぇ、来たのよ、
 昨晩(きのう)、それでね……、と仲良しの娘たちの間で噂話のネタになっていたか
 もしれません。

 『日本書紀』には、「天下(あめのした)、誹謗(そし)りて言(まう)さく、『大
 (はなは)だ悪(あ)しくまします天皇なり』とまうす。」と記されています。もと
 もとオオハツセノミコと呼ばれた雄略天皇が天皇となったのは、兄である安康天皇が
 その義理の息子である目弱王(マヨワノオオキミ)に殺された時、雄略天皇は、別の
 兄弟である黒日子王(クロヒコノオオキミ)の許に赴き、「天皇が殺された。どうす
 べきか。」と相談した所、黒日子王は別に気にとめるでもなく、のらりくらりと返事
 をしなかったのに対し、「天皇であり、実の兄でもある人が殺されたというのに何事
 か!」と怒って斬って捨て、同じように他の兄弟についても反応の鈍い者はその場で
 斬って捨て、最終的には兄天皇の仇を打って自らが即位したという経緯があります。
 人を簡単にスパスパと斬ってしまうその所業を人は恐れたのでしょうが、よく考えて
 みると兄弟を殺されても動じない方がおかしいですね。納得いかないことがあるとす
 ぐに斬って捨ててしまう、逆に納得できれば許す。本当はとても心の熱い、人間的な
 人だったのではないでしょうか。怒れば大陸であろうと攻めていく人と、気に入った
 女性と一晩で7回戦もしてしまう人。とんでもなく悪い天皇だと恐れられる人と、多
 くの歌に歌い継がれ、恋物語の主人公となる人。それは決して別人ではなかったろう
 と思います。スパスパと斬っていくその決断、判断の早さも、自分に非があると気づ
 くとすぐにそれを認め、方針を変える潔さも、ある種の気持ちよさを感じさせます。

 そんな雄略天皇の気性の激しさと人を認める潔さを表したのが『古事記』の次のエピ
 ソードではないでしょうか。

 ある時、長谷(はつせ)の地の、枝がたわわに繁ったケヤキの木の下で宴会を催した
 ことがあった。この時、伊勢の国の三重から来た采女がお酒を盃に注いで天皇に捧げ
 た。ところがその盃にケヤキの葉っぱがひらりと落ちた。采女はそのことに気づかず
 に盃を天皇に渡したのだが、天皇がお酒を飲もうとすると盃に葉っぱが浮いている。
 これを見て天皇、怒ってその采女を打ち伏せ、太刀を抜いてその采女の首に差し当て
 て斬ろうとなされた。ここに及んで采女は、「どうか殺さないで下さい。申し上げた
 きことがございます。」と言って次の歌を歌った。

 纏向(まきむく)の 日代(ひしろ)の宮は
 朝日の 日照(ひで)る宮
 夕日(ゆふひ)の 日がける宮
 竹の根の 根垂(ねだ)る宮
 木(こ)の根の 根蔓(ねば)ふ宮
 八百土(やほに)よし い築(きづ)の宮
 眞木(まき)さく 檜(ひ)の御門(みかど)
 新嘗屋(にひなへや)に 生(お)ひ立(だ)てる
 百足(ももだ)る 槻(つき)が枝(え)は
 上枝(ほつえ)は 天(あめ)を覆(お)へり
 中つ枝(え)は 東(あづま)を覆(お)へり
 下枝(しづえ)は 鄙(ひな)を覆(お)へり
 上枝(ほつえ)の 枝(え)の末葉(うらば)は
 中つ枝に 落ち觸(ふ)らばへ
 中つ枝の 枝(え)の末葉(うらば)は
 下(しも)つ枝(え)に 落ち觸(ふ)らばへ
 下枝(しづえ)の 枝(え)の末葉(うらば)は
 あり衣(きぬ)の 三重(みへ)の子(こ)が
 指擧(ささが)せる 瑞玉盞(みづたまうき)に
 浮きし脂(あぶら) 落ちなづさひ
 水(みな)こをろこをろに
 是(こ)しも あやに恐(かしこ)し
 高光る 日の御子
 事の 語言(かたりごと)も 是(こ)をば

 <纏向の日代の宮は
  朝日の照る宮
  夕日の輝く宮
  竹の根が垂れてはびこる宮
  木の根が延びてはびこる宮
  多くの土で土台をしっかりと固めた不動の宮
  立派な檜で作られた宮である
  新嘗の祭を行う場所に立っている
  枝葉がたわわに繁るケヤキの木は
  上の方の枝は天を覆い
  中程の枝は東の国々を覆い
  下の方にある枝は西の田舎の国々を覆っている
  上の方の枝にあった葉は
  中程の枝に落ちて触れ
  中程の枝にあった葉は
  下の方にある枝に落ちて触れ
  下の方にあった葉は
  三重の国から来た子が
  捧げ奉った立派な盃に
  脂が浮いたように落ちつかって   水がコオロコオロに固まって
  まるでオノゴロ島が出来たあの時のよう
  これはなんと畏れ多いことでしょう
  高く輝く太陽の御子よ
  この事を語り伝えることといたしましょう>

 雄略天皇の御代を讃え、盃に落ちた葉をオノゴロ島のようだ、何と縁起のいいことか
 と歌うこの采女の機転に天皇は感心し、お許しになったばかりか多くの禄を与えたの
 だそうです。

 こうして雄略天皇、全てその心のままに素早く行動したようです。しかし同時に、
 『日本書紀』の記すところでは、自ら新羅に攻め入ろうとした時、神から「行くな」
 とのご宣託を受け、行くことを断念するなど、神に従う心も持っていたようです。そ
 の意味では、恋をするのも戦をするのも激しく、人から恐れられも愛されもしたこの
 天皇、実は自然の道に従っていただけなのかもしれません。


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 さて、隔週木曜日にお届けしております「恋歌」番外編、
 「男と女の古事記伝」は次回、いよいよ最終回を迎えます。
 どうぞお楽しみに。。。。


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 2004.1.8 「恋歌」番外編第11回発行号


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