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          * * *番外編 第二回 * * *

風薫る5月を迎えました。
皆様いかがお過ごしですか?

本日は番外編の第2回目をお届けいたします、、、

今回は「不倫だなんて……」

恋の墓場は結婚と、よく言い表したものですね。
恋とはいったいなんなのでしょう?制度とは?

「万葉集」からの素敵な[恋歌]とタンゴ黒猫さんの軽快な解説をどうぞお楽しみくだ
さい。

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第2回 不倫だなんて……

今回も男と女の間でのやりとりを見ていきます。巻第四の631番から642番にかけて12
首のシリーズです。これは、湯原王(ゆはらのおおきみ)がある乙女と交わしたもの
ということです。

まずは湯原王の恨みっぽい歌に始まります。

表辺(うはへ)なき ものかも人は
しかばかり 遠き家路を
還(かへ)す思へば

「表辺」とは「表面」のことですが、ここでは「顔の表面」つまり、「愛想」です
ね。

<全く愛想というのがないのですね この人は
こんなにも遠くまで出かけてきたのに
泊めてもくれずにとっとと家に帰してしまうなんて>

ここで終わればただの恨み、愚痴になってしまいますが、もう一首添えます。

目には見て 手には取らえぬ
月の内の 楓(かつら)のごとき
妹(いも)をいかにせむ

中国の伝説によると月の中に楓の木があるそうです。「月桂冠」というお酒の名前は
その伝説から来ているそうです。

<目に見ることはできても この手で触れることのできない
月にあるという楓の木のようなあなたを
私はどうしたらいいのだろう>

乙女の返しです。

ここだくも 思ひけめかも
敷栲(しきたへ)の 枕片去る
夢(いめ)に見えける

「敷栲」は布をいくつも重ねたもののことです。「枕片去る」とは、「枕を片側に寄
せておく」つまり、恋人の訪れを待って枕の片側を空けているのです。

<こんなにも深く想い続けていたからでしょうか
布をいくつも重ねた枕をあなたのために空けておいた
その夜の夢にあなたを見たことです>

おー、おー、何とも意地らしいではないですか。愛想がないどころではありません。
これ程深く愛されてるのですよ、湯原王!

更に乙女は歌います。

家にして 見れど飽(あ)かぬを
草枕 旅にも妻と
あるが羨(とも)しさ

これはわかりますね。

<あなたに会えるのはこの私の家でだけ それでは飽き足りないのに
あなたは草を枕にする旅先にまで奥様をお連れになる
そのようにいつもあなたと一緒にいられる奥様が羨ましいわ>

あ、湯原王、あなたには奥様がいらしたのですね。もしかして、これは旅先での出来
事? 今の時代なら不倫、スキャンダルになりますよ!

湯原王が答えます。

草枕 旅には妻は 率(ゐ)たれども
匣(くしげ)の内の 珠をこを思へ

「匣」はもと「櫛を入れる箱」ですが、一般に「大切なものを入れる箱」という意味
で使われます。

<草を枕の旅に 妻を連れてはいますが
大切な箱にしまってある玉のようなあなたをこそ思っているのです>

そしてもう一首。

わが衣 形見に奉(まつ)る
敷栲の 枕を離(さ)けず
巻きてさ寝ませ

<私の着ている衣を 形見として差し上げましょう
これを私と思って 布を重ねた枕の床に
離さず身につけて お休みなさい>

この時代の人にとってはある人が身につけたものというのは、その人の全てが移って
いるものですから、非常に大切なわけですね。そこで、男が女に自分の着たものを贈
るというのは、求婚の行為だったわけです。だから、「万葉集」の別の歌に女が、
「あなたはいつ私に着物を贈ってくれるのかしら」みたいに催促するような歌も出て
くるわけです。

これに対する乙女の返し。

わが背子が 形見の衣
妻問(つまどひ)に わが身は離けじ
言問(ことと)はずとも

「妻問」は「求婚」することです。一方、「言問ひ」はものを話すことです。

<私の愛する人が 形見にと贈ってくれた衣は
私の愛を求め 私の身を離れるということはないでしょう
たとえものは言わなくても>

何と意地らしい。可哀想になってくるではないですか。ところで、この間、どの位の
時間が経っているものなのでしょうか。次の湯原王の歌でわかります。

ただ一夜 隔てしからに
あらたまの 月か経ぬると
心いぶせし

<たった一晩会っていないだけなのに
一月も経ってしまったのではないかと
心が沈み 鬱ぎ込んでおります>

え、会っていないのはたった一日。その間にこれまでの歌が取り交わされているなん
て、なんと激しい恋なのでしょう!

乙女が答えます。

わが背子が かく恋ふれこそ
ぬばたまの 夢(いめ)に見えつつ
寝(い)ぬらえずけれ

<私の愛する人が これ程までに私を想って下さるから
暗い夜の夢にもあなたは現れ
夢うつつに夜を過ごし ちゃんと眠れませんでした>

湯原王がまた歌を贈ります。

はしけやし 間近き里を
雲居にや 恋ひつつをらむ
月も経なくに

「はしけやし」は「いとおしい」という意味ですね。

<ああ、いとしいあなたのいる そんなに遠くないあの里を
私は雲居の彼方のように手に届かないものとして恋い続けていくのだろうか
まだひと月も経っていないのに>

あれれ、ということはもうあの乙女のところへは行かないのでしょうか。そんなに恋
しているなら行けばいいのに……。まぁ、皇族ですし、奥さんもいるし事情はわかる
けれども……。だからでしょうか、次に乙女はこう歌います。

絶ゆと言はば 侘(わび)しみせむと
焼太刀(やきたち)の へつかふことは
幸(さき)くやあが君

「焼太刀」は「焼いて鍛えた太刀」ですが、太刀は身辺につけるものということで、
「へ」に掛かる言葉のようです。「へつかう」は「表面につける」で、「表面的にい
い顔をする」ということでしょう。

<もう二人の関係は終わりだよって言うと 辛い思いをさせると思って
焼太刀で飾るように 表面だけいい言葉を言っても
私が幸せでいられると思っていらっしゃるのでしょうか いとしいあなたよ>

いままで意地らしいと思ってましたが、この乙女、ズバリと来ましたね。湯原王は次
のように歌います。

吾妹子(わぎもご)に 恋ひ乱れたり
反転(くるべき)に 懸けて縁(よ)せむと
わが恋ひそめし

「反転」は四角い形の木でできた「糸巻き」だそうです。

<いとしいあなたに恋して心も乱れてしまった
糸巻きに糸を掛けて引き寄せようと
私はこの恋を初めてしまったののだろうか>

糸巻きに糸を掛けて引き寄せる――心の乱れをこのように表現するのですね。自分は
それほど本気で愛しているのだと、そういう返事ですね。短い間だったのかもしれま
せんが、いずれにしても、この二人の歌からは、どちらも激しく恋していることがわ
かります。

それにしてもこの二人の恋はこの後どうなったのでしょうか。先程少し触れました
が、これは現代で言うと、奥さんがいる男の人が若い女の人に手を出したという、不
倫の恋です。が、「不倫」なんてひどいと思いません? 「倫」とは「人の生きる
道」でしょう。「不倫」とは「人の道に外れた事」ですよね。だからでしょうか、週
刊誌はいろんな人の恋を不倫としてスキャンダラスに報道しています。でも、本当に
人の道に外れているのでしょうか。男が女に恋し、女が男に恋するのは人間としては
当たり前の事で、一体いつから結婚したら恋をしてはいけない、ということになって
しまったのでしょうか。あるいは結婚していなくても同時にいくつもの恋をしてはい
けなくなったんでしょうか。「恋歌」第六回の女性の皆さんが書いたものを読んでい
て、そのような事を考えたりします。この万葉の時代、二人の恋はどれ程スキャンダ
ラスだったのでしょうか。今よりはずっと大らかにとらえられていたのでは、と考え
ますが、仮にスキャンダルだったとしても、万葉の人々はこの二人のように激しく恋
をしたいともまた思ったのではないでしょうか。だからこそこの歌が『万葉集』に
載っているのだと思います。

最後に、自由な恋の時代を象徴する歌を紹介して今回は終わりにします。巻第九の
「雑歌(ぞうか)」に分類されている1759番の歌垣の歌です。

鷲(わし)の住む 筑波の山の
裳羽服津(もはきつ)の その津の上(うへ)に
率(あとも)ひて 未通女壮士(をとめおとこ)の
行き集(つど)ひ かがふかがひに
人妻に 吾も交らむ
わが妻に 他(ひと)も言問(ことと)へ
この山を 領(うしは)く神の
昔より 禁(いさ)めぬ行事(わざ)ぞ
今日のみは めぐしも見なそ
言(こと)も咎むな

「かがひ」は「歌垣」、「めぐし」は「目串」で、串を刺すようにじっと見る、監視
することだそうです。

<鷲の住む 筑波の山の
裳羽服津の 泉のほとりで
若い男女が 連れだって
行き集まり 歌垣をするのに
私も行って 人妻と交わろう
私の妻にも 他の男が声をかけるように
この山を治める神が
昔から 禁じないでお許しになった行事だ
今日だけは 私の事を監視しないで
咎め事も言わないでくれ>

スゴイ。これは東国の庶民の生活断片です。僕らがお祭りというとワクワクするのは
この名残があるからだったりして……。「神が許した行事だ」と言うんですね。そう
言えば、『古事記』によるとこの国は男女の神様がセックスして出来た国だし……。
この国では元々、男女のことは人の道どころか神の道だったのでは……。

別に乱婚状態がいいとか一夫多妻制度がいいとかそういう事を言っているのではあり
ません。ただ、現代のように男女が一緒にいると全てスキャンダルになってしまうの
ではなく、豊かで自由な時代があったのだなぁと、どうしてこうした恋ができない程
僕らは不自由になってしまったのだろうかと、あるいはそういう豊かな男女関係を取
り戻すことができれば、個人は勿論、社会全体ももっと豊かになるのではないかと、
ふとそのように思える今日この頃です。

次回は、山上憶良です。ではまた。
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番外編第二回いかがでしたか?

「恋歌」番外編は第一、第三月曜日発行です。


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2002.5.6 「恋歌」番外編第3回発行号

 


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