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        * * *番外編 第十一回 * * *


すっかり涼しくなってきましたね


さて、十一回目の番外編。
前回から引きつづき「禁断の恋」をお届けいたします。

タブーを犯すとは、、人間が作った規則や制度とは、、
いろいろと考えさせられる展開ですよ。


それではどうぞごゆっくりお楽しみ下さい。


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   第11回 兄と妹〜禁断の恋(2)

「禁断の恋」――この言葉の響きにドキドキするものを感じて、書いてみようと思っ
たのですが、よくよく考えてみると、禁断の恋の種類というのがそうないことに気付
くのですね。というか、殆ど、今言う「不倫」のことなのですね。誰か、既に相手が
いる人、誰かの妻(夫)であったり、前回は天皇のお妃候補に手を出す、という話を
したのですが、こういう、もう公に将来が決まっている人を相手の恋なのです。これ
を「不倫」と言えば、何かよくない、後ろめたいことをしているような気になり、
「禁断の恋」と言うと、これはもう、命懸けの熱烈な恋愛、そうしたいと思っても、
普通の人には踏み込むことのできない、あこがれ的恋愛となるのですね。渡辺淳一さ
んの『失楽園』が一大ブームとなりましたけど、結婚して、家庭を持ったら、子供が
できたら、もう恋はしてはいけない、家族のためにだけ愛を注ぐのが良いこととされ
ているけれども、してはいけない、なんて言っても、男と女、魂と魂が出会ってしま
えば、そういう気持ちが生まれるのはもう、どうしようもないですね。だけど、普通
に生きている人は、妻がいるから、夫がいるから、子供がいるから、と頭でこれはい
けないことなんだ、と言い聞かせてその気持ちを抑えて生きています。抑えているだ
けで、その気持ちはいつもどこかに燻っていて、だからこういう、家庭を捨ててでも、
命を懸けて自分たちの恋を全うしようとする話にはあこがれてしまうのですね。江戸
時代も近松の心中ものが流行りましたが、ずっと私たちの中にはこういう社会的規範
を越えた恋をしたいという気持ちがずっと受け継がれてきているのでしょう。

そう、今社会的規範、と書きましたが、「禁断」と言っても、それは人間がつくった
社会のルールに過ぎないのです。だから違う社会ではルールが違う。現代の日本は法
律で一夫一婦制を採用しているから、結婚後の恋、或いは既に奥さんなりご主人がい
る人への恋が「道ならぬ」ものとなっているに過ぎないのですね。これが平安時代で
は、男はいろんな女の許を訪ね、女も訪れる男は全て受け入れ、もう、多夫多婦制な
わけです。いろんな人と契ったとて、それ自体は別に禁断でも何でもないのです。そ
う考えると、この「禁断」というのは、人間がつくったもの、言葉の響きのすごさほ
どではないのではないか、例えば、同じ禁断でも、アダムとイヴの「禁断の木の実」
程に、神によって禁じられたものほど、その畏れ多さというのはないのではないか、
単にそのルールが都合よくてそのルールをつくった人たちにハマッているだけではな
いか、と私には思えてくるのです。

ところが、ですね……。ありました。もう一つ。禁断の恋、と呼ばれているものが。
それは近親婚です。多くの場合、兄と妹、姉と弟、母と息子、父と娘、というケース
でしょうけど、これは何と、人間の殆どの文化で共通してタブーとなっています。こ
ちらの方は確かに、考えることすらしてはいけない畏れ多さを感じますね。根源的な、
犯すべからざる禁止事項として、私達の体の奥深くに刻み込まれているようです。

考えてみると、男にとっては、母親、姉、妹、そして女にとっては父親、兄、弟とい
うのは、最も身近で、最も親しみを覚える存在のはずです。が、親し過ぎるからでしょ
うか、慣れてしまっているからでしょうか、普通は恋の相手にはならないですね。で、
現代の日本語もそうですけど、「恋人」という言葉はこうした家族関係の言葉とは独
立してしまってます。ところが、ですね、万葉の時代、男にとってその愛を一杯注げ
る女性は、実際の妹であってもそうでなくても「いも」であり、女にってそういう男
性は、兄であってもそうでなくても「せ」と呼んでいたのですね。恋人は、「わたし
のかわいい妹よ」というニュアンスで「吾妹子(わぎもご)」であり、「いとしいお
兄様」というニュアンスで「わが背(せ)」なのです。こういう言葉を使っていて、
仲のよい兄妹、姉弟が恋人になってしまってもおかしくないのではないか……。

『万葉集』の中心的な時代は、天武・持統両天皇の時代ですが、この天武天皇はお兄
さんの天智天皇との間に、もう殆ど近親婚的な関係をたくさん結んでいるのですね。
奥さんの持統天皇からして、天智天皇の娘なのですから、姪を妻に迎えているわけで
す。ところが、そういう時代にあってさえ、両親が同じ兄妹(姉弟)の結婚は認めら
れなかったのですね。母が違えばよしとされていたようですが、やはりここにも根源
的な何かを感じないではいられません。

前置きが長くなりましたが、『万葉集』の中で、最も激しく愛し合った兄妹と言えば、
熱烈な歌を残した但馬皇女(たじまのひめみこ)と穂積皇子(ほづみのみこ)でしょ
う。共に天武天皇のお子さんで、蘇我赤兄(そがのあかえ)の娘、大ヌ娘(おおぬの
いらつめ)との間に生まれたのが穂積皇子、藤原鎌足の娘、氷上娘との間に生まれた
のが但馬皇女なのです。詳しいことはわかっていないのですが、年齢も同じで、幼い
頃から仲がよかったのでしょう。但馬皇女は、天武天皇の皇子の一人、高市皇子(た
けちのみこ)の妻となっていたようですが――ということは高市皇子もお兄さん! 
かなり年上ですが――、その高市皇子の宮にありながら、穂積皇子との逢瀬を重ねて
いたようです。その、高市皇子の宮にあって、穂積皇子のことを思って歌ったのが次
の歌(巻第二、144)です。

秋の田の
穂向(ほむき)の寄れる かた寄りに
君に寄りなな 言痛(こちた)くありとも

<秋の田の穂が 風で一方に靡くように
私の心もあなたの方へ靡いていたいことです
たとえ人が口さがない評判を立てようとも>

もう、人が何と噂しようと構わない、高市皇子の奥さんの立場なんてどうなったって
いい、あなたへの愛に賭けたい、そういう強烈な気持ちが伝わってくる歌ですね。

しかし、それだけ激しい恋だったからでしょうか、とうとう人の気付くところとなり、
この恋は露見してしまいます。穂積皇子はそれで動きがとれなくなったのでしょう。
ところが、それでも但馬皇女は諦めないのです。そう、穂積皇子が自分を訪ねてくれ
ないのなら、自分から訪ねる、という行動に出ます。当時は女は男を待つだけのもの。
女から男を訪ねるというのは常識から外れた行為だったわけですから、但馬皇女の抑
えきれない恋心がいかに激しかったことか! この時の歌(116)があるのです。

人言(ひとごと)を 繁(しげ)み言痛(こちた)み
己(おの)が世に いまだ渡らぬ
朝川渡る

<人の噂がうるさく、口さがないので
生まれてきてはじめて 今まで渡ったことのない
夜明けの川を渡ることです>

川を渡る、というのは男女が相見えることの比喩ですね。で、夜明けの川を渡る、と
はつまりは婚(よば)いをしてその帰り、ということなのですけれど、普通は男が女
を訪ねて夜が明ける前に帰るわけですけど、人の噂がうるさく、穂積皇子が自分のい
る高市皇子の宮を訪れることができない、そこで、通例とは逆に、女である但馬皇女
が穂積皇子に婚いした、その帰り、というわけですね。生まれて初めてって言ってま
すけど、但馬皇女の人生に限らず、当時としては前代未聞だったわけでしょう。それ
を敢行する但馬皇女という人は! 何て強い人なんでしょうね。女の人は恋に命を賭
ける時、かくも強くなるものなのでしょうか。

でも、世間というのはそれを許さないのでしょう。穂積皇子は急遽、勅命で前の都が
あった近江の志賀の山寺に派遣されます。どういう内容の任務だったのでしょうか、
それはわかりませんが、ここまで噂になっていたからには、天皇がそれを咎めての左
遷、ということになるのでしょう。この時、但馬皇女は次のように歌っています
(115)。

後(おく)れ居て
恋ひつつあらずは 追ひ及(し)かむ
道の阿廻(くまみ)に 標結(しめゆ)へわが背(せ)

<あとに残って あなたへの恋しさ故に苦しんでいないで
追いかけて行こう
どうか行く道の曲り角ごとに しるしをつけておいて下さい
私の愛しい人よ>

強烈ですね。もうなりふり構わないのですね、この人は。こういう激しい恋をしたい
とは誰しも思うのでしょうが、思うだけでなかなかできないのが現実でしょう。それ
をやってしまおうとするところが、但馬皇女の魅力ですね。ここまで愛されて――穂
積皇子の気持ちはどうだったのでしょう。これらの歌への返歌はないのですが、宴会
の時に詠んだ、という歌(巻第十六、3816)というのがありまして、

家にありし
櫃(ひつ)にかぎ刺し 蔵(をさ)めてし
恋の奴(やっこ)の つかみかかりて

<家にあった櫃に鍵を刺してしまってあった
恋の奴めがつかみかかってきて――>

もう恋なんかしない、と思って、そんな気持ちには蓋をしていたのだけれど、その蓋
を開けてつかみかかってきた。こうなったらもうどうしようもないのだ――そんな感
じでしょうか。酒の席で詠んだというくらいですから、但馬皇女に比べると軽いです
ね。軽いですけど、この歌に詠まれた恋というのは、但馬皇女とのことなのでしょう
か。この歌は酒の席では何度も、感じ入っては歌ったようですから、或いはそうかも
しれない、と思ったりもします。諦めてしまった恋――いや、本当は諦めきれないか
らこそ、酒を飲んで酔いがまわると、抑えていた気持ちが解かれて、ふとそれを口に
したくなるのでしょうか。

そう、恐らく、穂積皇子が左遷されてからは逢瀬は難しかったでしょう。そのうちに、
但馬皇女はどうした理由からでしょうか、亡くなってしまうのです。行年36歳。巻第
二の203に、但馬皇女が亡くなられた後、穂積皇子が冬の雪の降る日に遠くにある皇
女のお墓を見やって、涙を流して詠んだ歌というのが載っています。

降(ふ)る雪は あはにな降りそ
吉隠(よなばり)の 猪養(ゐかひ)の岡の
寒からまくに

<降る雪よ そんなに多く降り積もってくれるな
吉隠の猪養の岡に眠っているあの人が
きっと寒い思いをしているだろうから>

やさしい歌ですね。この人、きっとやさしい人だったんでしょうね。だけど強くはな
かった。但馬皇女がこの恋のためにはなりふり構わなかったのに、穂積皇子は天皇の
命に従い、世間を気にしながら生きたのではないでしょうか。それへの後悔が、この
歌にも、そして「恋の奴めが」という歌にも顕われているように思います。

さて――。腹違いの但馬皇女と穂積皇子の恋の歌はこれだけです。が、同じ両親に生
まれた兄妹の歌というのは『万葉集』にあるのでしょうか? そう、実はあるので
す。
これは允恭天皇の皇子の一人、木梨軽太子(きなしのかるのひつぎのみこ)とその
妹、
軽太郎女(かるのおおいらつめ)との恋物語なのです。『古事記』や『日本書紀』に
よると、允恭天皇の23年、木梨軽皇子は皇太子となります。軽皇子は容姿の美しい若
者であったようですが、その妹軽太郎女もまた美しく、その肌の輝きが服を通して外
に表れるというので衣通王(そとおしのおおきみ)と呼ばれた人なのです。その美し
さ故に互いに惹かれ合い、契ってしまうのです。『古事記』に載っている軽太子の婚
(よば)いの歌は、

あしひきの 山田を作り
山高み 下樋(したび)を走(わし)せ
下娉(したど)ひに 我が娉(と)ふ妹(いも)を
下泣きに 我が泣く妻を
昨夜(こぞ)こそは 安く肌觸(ふ)れ

<あしびきの山に田を作ると
山が高いので 水を送る樋(とい)を地中に埋めて走らせるように
人目を忍んで私が言い寄り 訪(と)う愛しき人を
人目を忍んで泣く愛しい妻を
昨晩(きのう)こそは 心ゆくままにその肌に触れたことだ>

笹葉(ささば)に 打つや霰(あられ)の
たしだしに 率寝(ゐね)てむ後(のち)は
人は離(か)ゆとも
愛(うるは)しと さ寝し寝てば
刈薦(かりこも)の 乱れば乱れ
さ寝し寝てば

<笹の葉に霰が打ちつけてタシダシと音がするように
確かに確かに こうしてあなたと共寝をしてしまったからには
たとえあなたが離れ去ったとしても もういいのです
互いに愛しいと言って 一晩中愛し合ったからには
刈った薦で編んだ筵がすぐに乱れてしまうように
激しく乱れるままに 一晩中愛し合ったからには>

うーむ。すごいですねぇ。読んでる方が恥ずかしくなりますねぇ。これほどまでの関
係だったのですね、この兄妹は。ところが、翌24年、この関係が露見することになり
ます。允恭天皇の食事に出ていた汁物が、夏であるのに氷るという奇怪な出来事があっ
たのです。不思議に思った天皇はこのことを占わせると、占師は「内乱の兆しあり、
恐らくは肉身同士で犯し合った者がいるのでは」と答え、事が明らかになってしまい
ます。ここに軽太子は人々の反発を買い、人心は穴穂皇子(あなほのみこ)、後の安
康天皇へと移ります。軽太子は大前小前宿禰(おおまえおまえのすくね)の館へと逃
げ込み、ここで戦う準備を始めます。穴穂皇子も戦の準備をし、大前小前宿禰の館を
囲むのですが、宿禰は、仮にも皇太子であり、兄でもある方に戦を仕掛けたとあって
は、あなたの徳に関わる。世の人はあなたのことを笑い者にするでしょう。私が捕ら
えてお連れします、と言って、太子を引き渡します。その後、太子は伊予の道後温泉
に流されます。衣通王もその後を追い、共に自殺して果てた、というのです。

『万葉集』に載っている歌は二つ。一つは、軽太子が伊予に流された時に、衣通王が
太子を慕う恋しさに、後を追って行った時の歌(巻第二、90)です。

君が行き 日(け)長くなりぬ
山たづの 迎へを往(ゆ)かむ
待つには待たじ

<あなたが行ってしまってから もう長い日数が経ってしまった
葉が向かい合っている山たづのように あなたを迎えに行こう
もう待つことはやめよう>

あれ、これ、どこかで見た気がしませんか。そう、前に紹介した磐姫皇后の、

君が行き 日長くなりぬ
山たづね 迎へか行かむ
待ちにか待たむ

<あなたが出掛けて行ってから もう何日にもなります
山路を歩いて 迎えに行こうかしら
それともこのまま 待ち続けていたものかしら>

これとそっくりですね。これらの歌は、本当に磐姫皇后や衣通王が作ったのかどうか
はわからない、というのが本当のところのようです。恋する人の気持ちを見事に歌っ
たこの歌は共感を呼び、ずっと歌い継がれてきたのでしょう。この歌に顕われた恋の
激しさを思う時、こんなに激しい恋情の持ち主は磐姫に違いない、衣通王に違いない、
とこの人たちの恋物語に自分の気持ちを託したのでしょうね。

さて、もう一つは、軽太子が自ら命を絶った時に詠んだ歌(巻第十三、3263)です。

隠口(こもりく)の 泊瀬(はつせ)の川の
上(かみ)つ瀬に 斎杭(いくひ)を打ち
下つ瀬に 真杭(まくひ)を打ち
斎杭には 鏡を懸(か)け
真杭には 真玉を懸け
真玉なす わが思ふ妹(いも)も
鏡なす わが思ふ妹も
ありと言はばこそ
国にも 家にも行かめ
誰(た)がゆゑか行かむ

<山に囲まれた隠国の泊瀬の川の
上流には清らかな杭を打ち
下流には立派な杭を打ち
清らかな杭には清らかな鏡を
立派な杭には立派な玉を懸け
その美しい玉のような 私が愛しいと思う人も
その美しい鏡のような 私が愛しいと思う人も
そんな人がいるというからこそ
故郷にも 家にも帰ろうと思うのだ
他の誰の為に帰るというのだろうか>

あなたがこうしてここに来てくれたからには、配流の身だからといって、大和に帰り
たいという気持ちなどもうなくなった。あなたが一緒にいるのならどこにいたって構
わない、そういう歌を詠んで、この二人は自らの命を絶ったのです。

しかし――。どうして近親婚というのはタブー視されるのでしょうね。よく、奇形の
子供が生まれる確立が高いからだ、と言われますが、それは遺伝学が発達してから、
つい最近の通念なのです。遺伝学的に言うと、近親婚はある傾向を強めていきますか
ら、病気などを持っているとその傾向が強くなるのはそうなのですが、逆に、天才的
才能なども強くなっていくのです。私は、天智天皇と天武天皇が近親婚的関係を多く
つくったのは、単に政治的安定というだけでなく、自然界や霊的なことを理解できる
天皇家のシャーマンとしての能力をより高めようとしていたのではないか、と薄々考
えているところすらあります。

ところが、こうした遺伝学的知識以前から、多くの民族、社会で見事に避けられてい
るんですね。文化人類学者のレヴィ=ストロースはその著『親族の基本構造』におい
て、次のような話を紹介しています。つまり、ある部族の男にしつこく妹と結婚した
いとは思わないか、と聞いたところ、妹とは結婚できない、という答えがあり、何故
結婚できないか、と聞くと、妹とは結婚しないものだ、と答え、逆にあんたはそんな
に妹と結婚したいのか、と聞かれたというのです。しつこく聞いた挙げ句、結局、妹
と結婚することは考えられない、という結論に達するのです。この考えられない、と
いうことが大事なようなんですね。つまり、最初から結婚の対象ではないのです。何
故か。レヴィ=ストロースは、結婚の意義を交換に求めます。姉妹をよその家族に嫁
として贈与することによって、その家の婿は自分にとっての兄弟になり、家族が大き
くなるわけですね。また、よそから嫁をもらっても、やはり家族が増えるわけです。
家族が増え、自分たちにはなかった文化や技術が入ってくること。そして家族が多く
なることで、戦いの時にも共に戦う人が増えること、そのことに結婚の意義があるの
ですね。同じ家族の中で結婚しても人も増えず、文化や技術も発展していかない。よ
り強く、より豊かに生きていくための手段として生まれたのが結婚の制度、というわ
けですね。

レヴィ=ストロースがこの本を書いた時、これはつまり人間が作った「規則」なので
あって、自然発生的なものではない、何故なら動物にはこのようなタブーはない、と
していたのですが、その後の研究で動物にも実は近親婚が避けられていることがわかっ
てきました。竹内久美子さんが『男と女の進化論』で、イギリスのベイトソンがウズ
ラで行った実験を紹介しています。ウズラのメスが、初対面の姉妹、初対面の従姉妹、
初対面の従兄弟の子、全く血縁のない初対面のメスという内容で6つの部屋に収めら
れている前をオスに通らせて、どこで立ち止まるか、という実験なのですが、この実
験で、ウズラが最も関心を示したのが従姉妹なのだそうです。ベイトソンによると、
それは同種交配と異種交配の最もよいバランスを保つ組み合わせなのだそうで、つま
りは、遺伝子というものはどんな状況が来ても必ず生き残っていけるように多くのヴァ
リエーションを残そうとする、その時、あまりに違ったもの同士ではある傾向に片寄っ
たり、互いの長所を否定し合ったりするらしい。そこで、ちょっとだけ違うものが選
ばれる、というのですね。

ということは――。文化という面から見ても、動物行動学という面から見ても、結婚
とは人と人とがより豊かな社会をつくるためのものであり、子孫を永遠に繁栄させ存
続させていくものなのですね。二人の出会いが文化や社会の発展につながっていく―
―そういう正に人類の未来をつくっていく――そういうものとしての恋、そういうも
のとしての結婚というのは、何て素晴らしいものなんでしょう。

しかし――。うーん、待てよ。果たして、今の結婚制度って、ほんとに豊かな人間
関係や社会や文化を生み出せるようなものかな。そもそもレヴィ=ストロースの意見
に従うとして、結局交換または贈与の対象が女性であって男性ではないということは、
男性にとっての豊かな社会づくりのための制度、ということですね。一人の男と一人
の女が出会い、子供が生まれ、家族間の交流があってそれをベースに人類が発展して
いくこと自体はいいのですが、それが制度として定着した時に、結局は男にとって都
合のよい形、男が女を支配する形をとったのですね。そしてそれは当然女性にとって
は幸せな結婚形態ではないわけです。だとすれば、こういう結婚制度はもう、崩壊し
てしまって当然なわけですよね。現代の日本でシングルや離婚が増えているのは当然
の成りゆきです。

「禁断の恋」について考えながら、こんなところまで来てしまいました。でも、ほん
とに、互いの出会いが、互いを思う気持ちが、自然に人類の幸福な未来につながって
いくような、そんな出会い、恋をしてみたいですね。かなり長くなってしまいました
ので、今日はこの辺で。

次回は最終回「人への愛、国への愛」です。お楽しみに。

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番外編第十一回いかがでしたか?

「恋歌」番外編は第一、第三月曜日発行です。


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2002.9.9 「恋歌」番外編第十一回発行号


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