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        * * *番外編 第十回 * * *


すっかり秋の気配がする今日このごろ。
秋といえば恋の季節の本番ですね。


さて、十回目になりました番外編。今回から禁断の恋がスタート!
タイトルを聞いてわくわくするものがありますね。
禁じられた恋ほど燃えてゆくのが今も昔も変わらぬ人の性。


それではどうぞごゆっくりお楽しみ下さい。


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   第10回 天の火もがも〜禁断の恋(1)

君が行く 道のながてを
繰(く)り畳(たた)ね 焼き亡(ほろ)ぼさむ
天(あめ)の火もがも (巻第十五、3724)

犬養孝さんの『万葉のいぶき』によると、女性の多くの方が『万葉集』を好きになっ
たのがこの歌か、額田王の

あかねさす
紫野(むらさきの)行き 標野(しめの)行き
野守(のもり)は見ずや 君が袖振る

からなのだそうです。そんなに人気のある歌なのですね。歌の意味は、

<あなたがいらっしゃる道の 長い道のりを
たぐり寄せて畳んで 焼き尽くしてしまうような
天の火があればいいのに>

遠いところにいて愛しい人に会えない。その辛さ故に、その距離を折り畳んでしまっ
て、天の火をもって焼き尽くしてしまえば、今あなたがここにいることができるのに、
という、まぁ、何とも激しい歌ですね。私は初めこの歌を見た時、「道のながてを 
繰り畳ね」という表現のすごさに驚き、そのすぐ後に追い打ちをかけるように「焼き
亡ぼさむ 天の火もがも」ときて、たじたじになってしまいました。恐らく、女の人
は、この位の感覚、男から見ると激しい、強烈、と思うのですけれど、きっと皆さん
好きな人を思う気持ちはその位のものなのでしょうね。だからこそ、人気があるので
しょう。

遅くなりました。この歌を詠ったのは狭野茅上娘子(さののちがみのおとめ)という
人で、相手は中臣朝臣宅守(なかとみのあそんやかもり)という人です。実は、この
二人の恋は、禁断の恋、当時の一大スキャンダルだったのです。宅守はどうも神祇官
らしい。そして茅上娘子は斎宮寮の下級女官だったようですね。となれば、同じ神を
祀る関係の仕事で、会う機会も多かったのでしょう。やがて右馬寮(うまのつかさ)
の馬屋で密会を重ねるようになります。

何だ、同僚同士で恋をして、どこが悪いのだ、とお思いかもしれません。が、思い出
して下さい。第1回でも少し触れましたが、女官というのは、いろいろな仕事に就い
ているとはいえ、天皇の奥さん候補であり、しかも、国というよりも天皇個人の所有
になるものだったのですね。ですから、そんな人に手を出したら一大事なわけです。
周りの男は、あの子いいな、と思っても、手を出すわけにはいかず、せめて何かの折
に目にすることがあればそれで満足しなければならなかったでしょう。だからこそ、
その女官を賜った藤原鎌足が

われはもや 安見児(やすみこ)得たり
皆人の 得難(えかて)にすといふ
安見児得たり

とその喜びをあからさまに表現したのでした。

ところが、宅守と茅上娘子は我慢できなかったわけですね。いえ、我慢というよりも
男と女が惹かれ合ってしまうのは自然のこと。それを禁止してしまうのは、禁止した
方が都合がいい人がそういうしくみをこの世の中につくっていくからですね。文化人
類学者レヴィ=ストロースが『親族の基本構造』で指摘しているように、禁止されて
いることの裏側には、禁止されていない、特権を持つ者の存在があるのですね。この
ことについては次回詳しく触れますが、いずれにしても、ある種の男女関係を禁じら
れたものとしていくのは、人間自身なのです。男と女が互いに惹かれ合い、求め合い、
愛し合っていくのは自然のことであるのに、どうしてこうまで人間は規則をつくって
互いを監視し合っていくのでしょうか。電車の中吊り広告で、週刊誌のスキャンダラ
スな見出しを見る度に、日本の憲法は個々人に自由を保証し、法律的には男女の愛は
自由であるはずなのに、どうしてこうまでわざわざ自ら不自由なものにしてしまって
るのだろうと、つくづく思うのです。「自ら」と書きましたが、マスコミがそういう
感覚をつくり出しているのかな。そのマスコミは、男女が自由に愛し合うと都合の悪
い誰かと結びついているのかな。

うーん。ますます話が逸れてしまいました。男女が自由に愛を表現しあっていた万葉
の時代にあこがれる筆者は思わず力が入ってしまいました。でも、その万葉の時代に
して、禁じられた恋はあった。それが天皇の女官に手を出すことだった。にも拘わら
ずこの二人は逢瀬を重ね、そしてとうとう発覚してしまうのですね。そして、禁を犯
した宅守は罪を得て、越の国の味真野(あじまの)、今の福井県武生市の近くに配流
となったのです。時は天平11年、大伴家持22歳の年。様々な女性との恋を重ねる若き
家持にこの事件はかなりショックだったのではないでしょうか。離ればなれとなった
二人は互いの思いを歌に詠いました。その数63首が、『万葉集』巻第十五にまとめて
載っているのです。たとえ禁じられても、互いへの思いを詠い続ける二人の歌は、現
代(いま)を生きる私たちを強く感動させます。

それでは、実際に二人の歌を見ていきましょう。例によって『万葉集』記載の順番は
いろいろのようですが、私なりに勝手に想像、編集してお届けします。

まず、次の歌は、事件発覚当日のものではないでしょうか。茅上娘子の歌です。

ぬばたまの 夜(よる)見し君を
明(あくる)朝(あした) 逢(あ)はずまにして
今そ悔しき (3769)

<ぬまたまのような漆黒の夜に相見えたあなたを
一夜明けた今朝 会わないままでお別れするとは
今この時 大変悔やまれてなりません>

中西先生は「宅守の出発前」とされていますが、恐らく、発覚してから出発するまで
は二人とも厳しい監視下に置かれているでしょうから、会うことは叶わないでしょう。
とすれば、会った翌日、事件が発覚し、二人はそれぞれ拘束状態の中で、いろいろ調
べを受けたりしたでしょう。そしてたちまちにして宅守配流の処分は決定されたこと
でしょう。そのことが娘子の耳に入って詠った歌でないかと筆者は想像するのです。

そして、いよいよ明日、宅守が都を立つという日、娘子は次の歌を詠ったのではない
でしょうか。

この頃(ころ)は 恋ひつつもあらむ
玉匣(たまくしげ) 明けてをちより
術(すべ)なかるべし (3726)

<今のうちは恋しく思い続け 耐えていることもできるでしょうが
大事なものを入れた玉の匣を開けるように 明日という日が明けてしまったら
それから先はどうして生きていくことができるでしょうか>

とうとう宅守出発の朝が来ます。あの人はどうしているだろう。娘子は詠います。

あしひきの
山路越えむと する君を
心に持ちて 安けくもなし (3723)

<あしひきの山道を越えて行こうとするあなたのことを
気にかけていて 心穏やかではありません>

一方、宅守はいよいよ越の国に入る境、愛発(あらち)の関に至ります。そしてここ
を越える時に詠んだのが、

恐(かしこ)みと 告(の)らずありしを
み越路(こしじ)の 手向(たむけ)に立ちて
妹が名告(の)りつ (3730)

<神を恐れて あなたの名前はずっと口にしないで
いくつもの峠を越えてきたけれども
越路への峠に立って とうとう愛しいあなたの名を呼んでしまった>

名前を呼ぶと、その人の魂を呼んでしまうので、峠の神が妻に祟ると思われていたわ
けです。だからじっと愛しい娘子の名前を口にするのを我慢してきた。してきたけど、
とうとうこの関を越えるともう都へは戻れない、というところに来て、とうとう我慢
できなくなってしまったわけですね。私、泣けます。この歌。

そして関を越えた宅守は、

遠き山 関も越え来(き)ぬ
今更に 逢ふべきよしの
無きがさぶしさ (3734)

<遠い山を愛発の関も越えて来た今となっては
もうあなたに逢うべき手段もないのがさびしいことだ>

さて、越の国に入った宅守と茅上娘子の間で歌が交わされます。

娘子の歌。

わが宿(やど)の 松の葉見つつ
吾(あれ)待たむ 早(はや)帰りませ
恋ひ死なぬとに (3747)

<わが家の松の葉を見ながら
その松にあやかって私は待っておりますから
早く帰って来て下さい 恋に死なないうちに>

天地(あめつち)の 底(そこ)ひのうらに
吾(あ)が如く 君に恋ふらむ
人は実(さね)あらじ (3750)

<天地の果てまで行っても この世に
私ほどあなたに恋焦がれている人は
決していないことでしょう>

宅守はそういう娘子の気持ちがわかるからこそ、

塵泥(ちりひぢ)の
数(かず)にもあらぬ われ故(ゆゑ)に
思ひわぶらむ 妹(いも)が悲しき (3727)

<塵や泥のように数え立てるほどもない私のような者のために
辛い思いをしているあなたが悲しい>

茜(あかね)さす 昼は物思(ものも)ひ
ぬばたまの 夜(よる)はすがらに
哭(ね)のみし泣かゆ (3732)

<茜色の昼は昼で物思い
ぬばたまのように暗い夜は一晩中
激しく泣かれてくることです>

遠くあれば 一日一夜(ひとひひとよ)も
思はずて あるらむものと
思ほしめすな (3736)

<遠くにいるからといって 一日や一晩くらい
あなたのことを思わないこともあるだろうなどと
思わないで下さい>

吾(あ)が身こそ
関山越えて ここにあらめ
心は妹に 寄りにしものを (3757)

<私の体は関所の山を越えてここにあるけれども
心は愛しいあなたに寄り添っているものを>

どんなに遠くに離れていても……。その心に応えるように娘子は詠います。

魂(たましひ)は
朝夕(あしたゆふ)べに 賜(たま)ふれど
吾(あ)が胸痛(いた)し 恋の繁きに (3767)

<あなたの魂は朝に夕に頂いていますけれど
私の胸は痛い 恋の激しさに>

その娘子は、自ら衣を縫って宅守のところに送ります。その時に次の歌を添えていま
す。

逢はむ日の 形見(かたみ)にせよと
手弱女(たわやめ)の 思ひ乱(みだ)れて
縫(ぬ)へる衣(ころも)そ (3753)

<再び会える日までの形見にしてほしいと
かよわい女である私が乱れる心で
縫った衣ですよ>

大切にして下さい、ということですね。で、これを受け取った宅守、涙を流すまいこ
とか。

吾妹子(わぎもご)が
形見の衣(ころも) なかりせば
何物(なにもの)もてか 命継(いのちつ)がまし (3733)

<愛しいあなたの形見の衣がなかったら
一体何によってこの命をつないでおくことができようか>

一方、宅守は、後に残された娘子のことを気遣います。そのまま宮に残っているとす
れば、いろいろと口さがない人々の好奇の目に曝されたことでしょう。そのことで辛
い思いをしていることでしょう。

さす竹(だけ)の 大宮人(おほみやびと)は
今もかも 人なぶりのみ
好みたるらむ (3758)

<さす竹のように高く延びていく大宮の人たちは
今も人をなぶりものにすることばかり
好んで私の愛しい人をいじめているのであろうか>

同じように娘子は宅守のことを気遣います。

宮人(みやひと)の 安寝(やすい)も寝(ね)ずて
今日今日(けふけふ)と 待つらむものを
見えぬ君かも (3771)

<あなたは大宮人のように安眠することもできず
帰れる日は今日か今日かと待っているでしょうに
姿をお見せにならないあなたよ>

そう、いつ宅守は帰って来れるのか。二人にとってそれは最大の関心事です。二人と
もその時がいつかわからない辛さを歌っています。まず、宅守、

逢はむ日を その日と知らず
常闇(とこやみ)に いづれの日まで
吾(あれ)恋ひ居(を)らむ (3742)

<逢える日をいつとも知らず
無限の闇の中で 私はいつまで
恋し続けているのだろう>

そして娘子が、

他国(ひとくに)に 君をいませて
何時(いつ)までか 吾(あ)が恋ひ居(を)らむ
時の知らなく (3749)

<よその国にあなたをお置きして
いつまで私は恋し続けるのでしょうか
その時がいつかも知らないで>

やがて、翌年天平12年6月、恩赦が行われます。罪を得た人が許され、配流の先から
戻って来たりします。が、宅守の名は、恩赦の除名者のリストの方に載っていました。

茅上娘子の歌。

帰りける
人来(ひときた)れりと 言ひしかば
ほとほと死にき 君かと思ひて (3772)

<赦されて帰った人たちがやって来たよと言うので
喜びのあまり殆ど死にそうになってしまいました
あなたかと思って>

宅守はこの事実を粛々として受け止めます。

世間(よのなか)の 常(つね)の道理(ことわり)
かくさまに なり来(き)にけらし
据(す)ゑし種子(たね)から (3761)

<世間の常の道理で
このようになってきたようです
私が自分で蒔いた種から>

一体、宅守は配流を解かれて都に帰ってくることができたのか、二人は再び逢うこと
ができたのか、『万葉集』からはわかりません。が、いずれにしてもこの状況の中で、
二人は激しく相手を恋し続け、そして茅上娘子はいっそのこと天の火が二人の距離を
焼き尽くしてほしいと冒頭に挙げた歌を詠ったのです。一方、宅守はこの越えること
のできない距離を次のように詠います。

過所(くわそ)無しに
関飛び越ゆる ほととぎす
わが思ふ子にも 止(や)まず通はむ (3754)

過所とは手形のことです。

<手形なしに自由に関所を飛び越えるほととぎすよ
私の思うあの子の許にも 絶えず通い続けておくれ>

「通はむ」は文字通りには「通うだろう」でしょうけど、ここでは宅守は自分の気持
ちをほととぎすに託しているのですね。だから、自分の代わりに通ってほしい、と願
いをかけているのではないでしょうか。距離を越えて深く愛し合う二人の歌は、21世
紀という時代にあって尚、ままならぬ恋に苦しむ恋人たちに勇気を与えてくれるのと
私は思います。63首全てをご紹介できなかったのは残念なのですが、どの歌もこの二
人の純粋な気持ちにあふれています。是非皆さんもこれらの歌を読んでみて下さい。

今日のところはこの辺で。次回も引き続き、禁断の恋について取り上げます。お楽し
みに。


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番外編第十回いかがでしたか?

「恋歌」番外編は第一、第三月曜日発行です。


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2002.8.26 「恋歌」番外編第十回発行号


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