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          * * *  番外編 * * *

皆様いかがお過ごしですか?

おや?この間来たばかりなのにと思ってらっしゃる方が多いかもしれませんね。
唐突ですが、本日から番外編をスタートさせて頂きたくご挨拶申し上げます。

御登場願いましたタンゴ黒猫さんは、私たちの「恋歌」を創刊からお読みいただき
「日本人の魂」を「恋歌」で表現するという私たちの試みにたいへん共感してくださ
り、鋭い観察と暖かい意見をくださるかたなのです。

そして、このたびいよいよ恋歌の王道「万葉集」から好きな歌を選び、とても楽し
いエッセイを書いてくださいました。

詩的、情緒的「恋歌」とはまた切り口の違う、ちょっと学術的なこのエッセイ。
是非とも皆様にお伝えいたしたく、月曜日に番外編として隔週6回お送りいたします。

まずは第1回目です。どうぞご賞味下さい。


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はじめに

こんにちは。ミュージシャンのタンゴ黒猫です。知り合いの武蔵野式部さんから「恋
歌」というのをやっていると聞きました。「日本人の魂を取り戻す」なんて難しそう
なテーマを「恋を表現することで」実現していこうという面白そうな企画で、僕も何
か協力できたらと思い、「日本人の魂」「恋歌」と言えば、やはり「万葉集」でしょ
う、ということで「万葉集」について僕なりに感じていることを書くことにしまし
た。

「万葉集」は中学の国語の時間に習って以来、その不思議な魅力に取り憑かれてしま
い、いくつか作曲も試みています。「古事記」と並ぶ日本最古の文学の古典であるに
もかかわらず、後の「枕草子」や「源氏物語」、或いは「古今和歌集」といったもの
よりもずっとわかりやすい日本語だな、と感じたのです。もしかすると、これらの文
学作品は宮廷人が宮廷人のために宮廷生活を背景に書いたものであるのに比べ、「万
葉集」には天皇から一般庶民まであらゆる階層の様々な生活がそのままの言葉で書か
れているからかもしれません。

古文ということで敬遠されて、読んだことがないという人も多いと思います。この
コーナーでは、「万葉集」の中で僕が読んで面白いなと思ったものを取り上げなが
ら、古代の日本人が恋をどのように表現してきたかを見ていきたいと思います。但
し、解釈は「僕ならこう読む」という勝手流です。当然他の読み方もあるでしょう。
批判は覚悟の上です。正統的な読み方としては犬養孝さんが書かれた本が文庫でいく
つも読めます。が、正統的な読み方って何でしょう? 僕は、書物というのは読み手
が読みたいように読んでいいのではないかと思っています。その書物の価値や意味
は、それぞれの読み手が発見するものであると。私の駄文がきっかけとなって、「ラ
ブソング大全集」であるこの『万葉集』をご自身で手に取られ、日本人の心のルーツ
を取り戻していくことにつながれば幸いです。

尚、本文には中西進訳注『万葉集 一〜四』(講談社文庫)を底本として使用しまし
た。高校生の頃、NHKテレビの高校講座で中西先生が万葉集の解説をされるのを見た
のがきっかけで『万葉集』の世界に惚れ込んでしまいました。そういうことがあって
中西先生の編集したこの本が出た時すぐに購入したものです。漢字による原文、訓み
下し文、注、現代語訳の全てが盛り込まれ、しかも文庫本なので、辞書なしでどこで
も気軽に読めて便利です。岩波の古典大系本、新大系本で読まれている方とは本
文や歌の番号が多少違うところもあるかもしれませんが、その旨ご了解下さい。

----- タンゴ黒猫プロフィール -----

1964年福岡県生まれ。大学在学中にパンク・ロック・グループ「ビヨンズ」リーダー
のリンダ「ウララウララ」山本と知り合い、キーボーディスト、リズム・プログラ
マーとしてビヨンズに参加。一部の作詞、作曲、編曲も担当。ビヨンズ名義で1984年
カセットテープ『びよんづがじょうずにびょうきのえをかいた』、1992年CD『都市と
蟲』をリリース、その後ビヨンズは活動休止となったまま現在に至る。

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第1回 今も昔も……

『万葉集』に魅せられた僕が万葉のふるさと飛鳥地方を訪れたのは1988年(昭和63
年)の5月初めのこと。ゴールデンウィークを利用して橿原神宮前の駅に近い所に宿
をとり、そこを拠点に自転車でこの地方を回ったのでした。幸い天気は良く、空は鮮
やかな青に輝き、日差しは強く、寧ろ汗ばむ程の陽気でした。

自転車を漕ぎながらすぐに目についたのは、レンゲソウの花の紫色があたり一面に広
がっていること。レンゲ畑を知らないわけではないのですが、どちらかというとこの
季節、黄色い菜の花畑の景色の方が馴染み深い僕にとっては、このレンゲソウの紫が
野原や山の緑となすコントラストに思わず「おー、これこそ万葉やのー!」と妙に感
じ入ってしまうのでした。地元の人には何ということもない風景なのでしょうけれ
ど。

そのレンゲ畑の広がるあたりの地名を見ると石川町、隣は久米町です。石川? 久米
? ここはもしかして、あの歌が歌われた所ではないか、とある歌を思い出しまし
た。それは『万葉集』の巻第二、「相聞(そうもん)」の中にある、久米禅師(くめ
のぜんじ)が石川郎女(いしかわのいらつめ)の愛を求めた時の歌(96〜100)、と
いうものです。あの歌は、このレンゲ畑を背景に歌われたのではないか……。別に歌
が五月に歌われた確証は何にもないのだけれども、ここを背景に男女が恋の歌を交わ
したのだと想像を広げると実にワクワクしてくるのでした。

石川にある澄んだ水が美しい剣の池――左手の山は孝元天皇陵

その歌というのは……まずは、久米禅師が石川郎女に声をかけます。

み薦(こも)刈る
信濃の真弓 わが引かば
貴人(うまひと)さびて いなと言はむかも

「み薦」は水菰で、「刈る」は刈り取る、つまり収穫する意ですから「み薦刈る信
濃」は「水菰が獲れることで有名なあの信濃の国」という感じでしょう。

<水菰(みこも)が獲れる信濃が誇る弓のように
私があなたの心を引いたならば
淑女ぶって「いやです」なんておっしゃるんでしょうか>

石川郎女の返事です。

み薦刈る
信濃の真弓 引かずして
強(し)ひざる行事(わざ)を 知ると言はなくに

<水菰(みこも)が獲れる信濃が誇る弓のように
私の心を引きもしない 強引に迫るわけでもなく
どのくらい本気かわからないのに
イエスともノーとも言うことはできませんよ>

うーん。お見事。本気ならちゃんとその気にさせてよ、ということでじらしているわ
けですね。ところで、私が読んでいる講談社文庫版には、「知ると言はなくに」のと
ころに注があるのです。別に対して難しいところでもないのに何故だろうと思って注
を見ると「女性の知ラナイは千年の歴史がある」と書いてあるんですね。全体に真面
目な注が多い中で、ここは中西先生の女性観が見え隠れしていて、思わず笑ってしま
いました。中西先生も女性の「知らない」に何度も翻弄されたのでは……と想像しつ
つ、同じ男として共感したのでありました。(中西先生ご免なさい!)

さて、この歌の後、郎女はすかさず次の挑発に出ます。

梓弓(あずさゆみ)
引かばまにまに 依らめども
後の心を 知りかてぬかも

<梓弓を引くように私の心を強く引くのなら
お心のままに従いましょうけれども
時が経てばどう心変わりされるかわかったものではないですね>

これに禅師答えて歌うには、

梓弓
弦緒(つらを)取りはけ 引く人は
後の心を 知る人そ引く

<梓弓に弦を取り付けて強く引く人は
後々までの心が確かな人だからこそ引くのですよ>

僕は、この男女の恋の駆け引きが実に楽しい感じにあふれていて好きなんですね。禅
師の気持ちが本物かどうか確かめようと、イエスともノーとも言わない郎女と、何と
かかんとか、ちょっと気の利いたことを言って口説こうとする禅師。今も昔も恋の駆
け引きは変わらないものなんだなぁ、と思うと同時に、その駆け引きをこんなにも率
直に、大らかに歌い合うというところに、自由な世界を感じてしまうのです。

さて、この駆け引きの結果はどうだったのでしょうか。歌からだけではわかりませ
ん。ただ私思うに禅師、ちょっと弱腰な感じ。だめだったんじゃないかなぁ。上の歌
の続きはいきなり次の歌で、このシリーズは終わるのです。

東人(あづまひと)の
荷向(のさき)の篋(はこ)の 荷の緒にも
妹(いも)は心に 乗りにけるかも

これは特殊な言葉があってちょっと難しい。荷向というのは、毎年十二月に地方から
貢上され、神宮や陵に捧げられた初穂のことだそうです。それから、当時の東国とは、
三重県の鈴鹿より東のことですから、信濃、つまり今の長野県も東国なのですね。

<東国の人が奉納する初穂をいれた箱を縛るひものように
あなたは私の心にしっかりと乗ってしまったのだなぁ>

といったところでしょう。この4番目の歌と最後の歌の間にどのような経過があった
か、皆さんはどうお考えになりますか。

さて、今回はもう一つ。この恋の駆け引きの歌のすぐ前にかわいい歌(95)があるの
で紹介しておきます。

われはもや 安見児(やすみこ)得たり
皆人の 得難(えかて)にすといふ
安見児得たり

辞書を引かなくても大体おわかりになるでしょう。「もや」は、「ああ」というよう
な感嘆の助詞、「安見児」の「児」は「〜ちゃん」というような愛称です。

<俺さぁ、安見ちゃんをゲットしちゃったよ、イェ〜イ!
みんな憧れてるけど 誰もモノにできないっていう
あの安見ちゃんをゲットしちゃったよ!>

うーん。思わず軽くなってしまいました。すみません。だけどこんな感じですよ。も
う嬉しくて嬉しくてたまらないという。「安見ちゃんをゲットした」っていう、その
ことしか書いてない、何というダイレクトな表現。そのことしか書いてないだけにそ
の嬉しさが却って伝わってきますよね。同じ男として、その嬉しさはよくわかりま
す。ハイ。

ところが、この歌の詞書を読むと、また少し様相が変わってきます。

内大臣藤原卿の釆女(うねめ)安見児を娶(ま)きし時に作れる歌一首

つまり、内大臣の藤原卿という人が天皇に仕える女官である安見児を娶るよう賜った
わけですね。そうか、女官だから、誰もモノにできないわけですね。天皇を差し置い
てそんな事したら一大事! ところで、藤原卿って誰でしょう。実は藤原鎌足、あの
大化の改新の中臣鎌足なんです。ということは、天皇とは、天智天皇(中大兄皇子)
です。大化の改新なんて大胆なクーデターを計画、実行し、その後何百年にもわたる
藤原時代を築いていった鎌足には、冷徹な策士という恐いイメージがあったりするの
ですが、女性を賜ったことでこんなに喜んでしまうなんて、やっぱり彼も一人の男
だったんだなぁ、と急に親しみが持てたりします。

こんな風景がいかにも万葉らしい――鎌足ゆかりの大原辺り

このように、『万葉集』には、現代に通じる男と女の心の通い合いが描かれていま
す。男と女のことは今も昔も変わらないのだなぁ、と思うと同時に、単に「愛して
る」「好きだ」と言わずに、寧ろそういう言葉は使わないのに気持ちの深さを豊かに
表現しているところが素晴らしいですね。もっともっと『万葉集』を読んでそれぞれ
の「恋歌」の表現を深めてみては。

次回は「不倫だなんて……」と題して送ります。お楽しみに。


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