やっと登り詰めると、急に視界が開け、金比羅社の境内からは山々に囲まれた今立の町が一望にできる。高台の空気の清々しさとその眺望のよさに心が晴れ晴れとする。そう、この心が清く晴れるためにこそ、古(いにしえ)の人はわざわざこんな高い所に神社を作ったのだろう。

金比羅社のある高台からの眺望
別にさして見るべきものもなさそうなので、しばらく今立の景色を眺めると今登ってきた道を降りる。登る時はそれだけで一生懸命だったからわからなかったが、結構高い所まで来ていたものである。降りる時の方が長く感じられた。
金比羅社の参道を降りきると出雲社の前を通り過ぎ、更に出発点とした「ゆかりの地」の碑を通り過ぎて「岩清水」を見に行くことにする。途中、土手から水が滲み出ては滴り落ちている場所があり、しばらくそこにいたが、しかし、名所というからにはこの程度ではあるまい。僕は耳を澄ました。道の上の方からサーッという音が聞こえてくる。これは――風に揺れる葉の音か――いや、それよりは水の音のような気がする――。まぁ、違ったとしてもここまで来たからにはこの公園を隅々まで散策してみるのも悪くはあるまい。僕はその道を更に登ってみることにした。そして――。

水の滲み出す土手(左)――滴り落ちる水滴に小さな葉が揺れる(右)
僕はあっ、と驚いてしまった。巨大な岩の塊が大きな洞を形成しているそのあちこちに石仏が彫られているのだ。「岩清水」というその名に反して僕が訪れたこの時水は少なく、殆ど溢れるというよりは石伝いに滴っているだけのようだったが、きっとその昔この洞は滝になっていて、その水に打たれて仏教の僧たちが修行したに違いない。どうやって登ったのかわからない高い岩の絶壁にいくつも並ぶ石仏に、修行した僧たちの信仰の強さ、不屈の精神を感ぜずにはいられない。

岩清水――その切り立った岩のあちこちには石仏が
公園の順路へと戻ると矢印は更に上の方に琴弾山の展望台があることを示している。「コトビキ」――その音の響きに僕はまた誘われた。もともと音楽が好きだからでもあるが、それが継体天皇の事跡と関係あるように思えたからだ。何故なら、琴はもと神を呼ぶ楽器であり、天皇とはもと祭祀者であったからだ。このことは『古事記』の仲哀天皇の条などを読むとよくわかる。
さすがに息が切れてきた。が、汗をかき、大きく呼吸することで自分の中の余計なものが出ていくようにも感ぜられ心地よい。ホーホケキョ、と鶯の声。心が和む。楽しい、と思う。山道を登り続ける。
そして――。視界が開け、展望台が見えてきた。
―つづく―
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