メールマガジン「恋歌」第53回
2003.8.21
夏休み特集2】



[熊野川]

豊かな森と
豊かな水と
青くやさしい空に抱かれて
これら大いなる自然の中に
人の命も溶けてゆく

還ろう
神々が降り給うたこの地へ
僕らはみなここから生まれた
自然から離れて
自然を破壊して
どうして生きていくことができるだろう

豊かな森と
豊かな水と
青くやさしい空に抱かれ
偉大なる天の存在と
古人の鼓動を感じる


本宮町の旅館を出発したバスは熊野川に沿って新宮方面に走ります。昨日は大雨で茶色い濁流となっていた川も、今朝は信じられないほど美しい青緑色に輝き、見下ろす山々を川面に映しています。何と清らかな、そして何と安らぎを覚える光景なのでしょう。周りを取り囲み私たちを見下ろす山々は、あたかも私たちを優しく抱いているようであり、川の水の清らかさ、潔さに、私たちの心も純粋になっていくのを感じます。何故古(いにしえ)の人々がここを聖地としたのか、何故ここを甦りの地としたのか、よくわかる気がします。ここは僕の故郷ではないけれど、とても懐かしく、いつまでもここにいたい――そんな気持ちにさせる気持ちのよい空間なのです。日本人の魂のふるさと――それが熊野なのでしょう。

そう言えば、バスは川を上って行くジェット船と行き交ったのですが、そのジェット船の乗り場の前を通った時に「瀞峡」と書いてあるのを見て、あっ、そうだったか、とやっと思い出したのでした。そう、ここは松島、天の橋立と並んで日本三景に数えられる瀞八丁そのものだったのですね。三大名所に数えられる理由は、もうこの空間に身を置いているだけでわかるというものです。

バスはやがて新宮に入り、そこから花の窟(いわや)神社へと向いました。ここは火の神様であるカグツチノカミを産んで大火傷をして亡くなったイザナミノミコトが葬られている所です。『日本書紀』に「紀伊国(きのくに)の熊野(くまの)の有馬村(ありまのむら)に葬(はぶ)りまつる」とあるその場所なのだそうです。ここは社殿はなく、御神体は大きな岩で、これがイザナミノミコトというのですが、何とも変わった岩で、その大きくどっしりとした、その下に立つ者を包み込むような姿は正に愛を感じないではいられません。と同時に、女性が子供を産むということにはいつも自らの生命を危険にさらすことでもあったということ、女性がその危険を冒して子供を産まなければこの国も今の自分達も存在していないのだということを実感するのでした。未来を創っていくこと、それは常に自らの生命を賭して行われてきた。男であり、現代を生きる自分は未来のためにどう生きようとしているのか、岩の下に佇みながらそんなことに思いを馳せるのでした。

 

[花の窟神社にて]

女は
自らの命を賭して
新たな命を生む
たとえ自ら命失うとも
次の時代を開く子を生む

あなたがいなければ
今いる僕たちも
この国もなかった
あなたは自らの命を賭して
この国を生んだ

岩となったあなたの
何と大きく
何とやさしい姿
今と そして未来を抱く
大いなる愛が
新しい国をつくると知る

 

花の窟神社御神体の岩

さて、そのイザナミノミコトの御神体と言われる大きな岩に向かい合って小さな岩があります。これがカグツチノカミ。国生みの親を殺すなんて、何て悪い奴だ、と憎んでおりましたが、この岩を見た瞬間、あ、これは紛れもなくカグツチ君、とそのどこか愛嬌のある顔に親しみを覚えたのでした。考えてみれば親を殺そうと思って生まれてきたわけではなし、この神様が生まれなければ人間に火はもたらされなかったわけですから、僕までがイザナギノミコトと一緒になって憎む必要はないな、と。そうでなくても生まれてすぐに父親のイザナギから斬り殺されているわけですから。もっと同情してあげるべきかもしれない。何だか向かい合う母子の神様に触れ、どこか暖かい気持ちになりながらこの神社を後にしたのでした。

 

御神体の岩の麓(左)とその向いにあるカグツチノカミの岩(右)


さて、その後バスは新宮まで戻り、速玉大社へと向かいます。ここは本宮大社、那智大社と並ぶ熊野三社の一つです。主神はその名の通り速玉大神(ハヤタマノオオカミ)、つまりイザナギノミコトです。

ここには平清盛の長男である平重盛が植えたとされる樹齢千年の梛(なぎ)の木があるのです。梛の葉は普通の木の葉とは異なり、葉脈が縦に走っているので、簡単には千切れないので縁起がいいとされてます。えっ、「千切れない」なら「契れない」だからダメじゃん、と僕などは思ってしまうのですが、縁が切れない、ということなのだそうで、ここは昔から縁結びの神なのだそうです。

 

速玉大社の神殿(左)と平重盛が植えたという樹齢1000年の梛の木(右)


しかし、「イザナギ」という音に因んで「梛」かぁ、いかにも駄洒落だなぁ、とか思っていると、案外そうでもないかもしれない、と思い直しました。普通は「イザナギ」「イザナミ」は、「イザ」が誘う意を表し、「ナ」は「の」と同じ、「ギ」は男を、「ミ」は女を表し、即ち「誘う男」「誘う女」を表すとするのでしょうが、「ナギ」と「ナミ」を並べてみると、これはどちらも海に関係する言葉、しかも正反対ではないにしても、対立する概念ではないですか。イザナミもイザナギもこの熊野の海に近いところに祀られていることを考えると、もしかして関係なくはないかも、と思うのでした。


[速玉大社にて]

波と凪と
海は動き 生きる

波と凪と
そして海は生み 育む

海に波なくば
海に凪なくば
あらゆる生命は生まれていない

引き裂くことのできぬ
梛(なぎ)の木の葉っぱのように
ひとつとなるべき
異質な二つの存在

波と凪と

 

那智の大瀧

 

速玉大社の次は、いよいよ今回の目玉の一つでもある那智の滝へと向かいます。那智の滝は、もともとこれが御神体なのですね。神武天皇が上陸しようとした大阪で大敗し、海路紀伊半島をずーっと南まで回って上陸の機会を伺っていたところにキラリと光るものが見えた。あそこに何かある、と上陸し辿り着いたのがこの大瀧なのだそうです。ずっと船の暮らしだった神武天皇の遠征軍にとって、天から降る清らかな水は、正に天の救い、生命の源であったことでしょう。

いや、実際、天から水の塊が落ちてくるように見えるのです。そしてこの空間の何と涼しげで、身も心も頭もすっきりとすることでしょう。この滝が信仰の対象になったのは自然なことと言えます。


[那智の滝にて]

天より降り来る
その水の清冽に
その涼やかな空間に
清められる魂
蘇る生命

ここで、滝の下にあった社はより見晴らしの良い、向かい側にある山の上に移され那智大社となり、そこでは主神は夫須美大神(フスミノオオカミ)、つまりイザナミノミコトです。ところが、滝の下に今も残る別宮飛瀧神社は大己貴神(オオアナムチノカミ)、つまり大国主命を祀っています。ここで大国主命が出てくるにはいろんな理由や経過がありそうに思いますが、まだ詳しくは調べていません。が、恐らく、もともとは愛の神であるイザナミを祀っていたのではないか、と想像します。

 

 

夫須美大神(イザナミ)を祀る那智大社神殿(左)とやはり平重盛が植えたという樹齢800年の樟の木(右)


と申しますのも、ちょっと言いにくいのですが、那智大瀧の下半分の岩肌の部分、あれは女陰だと言われているのです。そこに白い水がさーっと降りて来る……先程生命の源という表現をしましたが、正にそういう生命の源としての男と女の交わりを象徴しているのです。だから神様だと思うのです。その神様に縁結びと安産のイザナミノミコトが選ばれるのはごく自然なことでしょう。

この大瀧の下に、文覚(もんがく)の滝と呼ばれる滝があります。文覚というのは真言系の僧の名前ですが、出家する前の名前を遠藤盛遠と言い、平清盛や西行法師と同窓であった人です。ある時友人の妻である袈裟御前に横恋慕し、結果的には過って彼女を殺めてしまい、女性を愛するということ、人生の無常などに悩み苦しんだのでしょう、出家して日本全国を修行して回るのです。『平家物語』には、那智の滝に21日間打たれるという業を達成したことが書いてあります。『平家物語』で文覚を助けるのは不動明王ですが、僕は彼がここで荒行をしたことは、その出家の原因ともなった男女のことと関係なくはないのではないかと思うのです。この大瀧の下で、ひとは男と女の真実を悟るのではないでしょうか。

 

那智の大瀧(左)と文覚の滝(右)


そう言えば――。この清らかな空間に身を置いている感じは、空海が持ち帰った密教の経典、『理趣経』の響きに通じるものがあります。この経典は清めるサ行の音、祓うカ行の音など空間をきれいにする音が多く含まれていて、読んだり聞いたりするだけで周りの空間も自分の身も清らかになっていくのです。空海もまた男と女の問題に大いに悩んだ人であったと聞きます。特に仏教において不浄とされた男女のことを、不浄どころか聖なるものである、そしてそれこそが生きるエネルギーの源であることをこの大瀧は教えてくれているように思えます。

恋に悩める蒼白い顔の遠藤盛遠は、この那智で荒行を遂げて文覚となり、高雄山にある神護寺の再興へと精力的に動き、そして腐敗した平家政権を倒し、新しい時代を創らんとその人生を賭けて東西を奔走するのでした……。

さて、滝を見たあとは勝浦のある有名なホテルへ向かいます。観光旅館というのでしょうか、いろんなレジャー施設があったりして、私などはちょっと戸惑ってしまいました。熊野や勝浦を訪れる意味とは、私にしてみれば、東京の日常の生活では得られな
いものを求めてのことなのです。そう言えば、もともと後白河法皇はじめ、多くの上皇たちが熊野詣をしたのは、都での政治や生活に行き詰まりを感じて、一度そうした全てを捨てて甦り、新たな人生をスタートさせ、新たな政治体制を築くためであったと聞いています。

とは言え、このホテルの温泉はなかなか面白く、海に面した洞窟に温泉を作ってあるので岩場に波が寄せる風景を楽しみながら湯の中でくつろげるという全く贅沢な温泉なのです。そのうちの一つ、紀州のお殿様も時を忘れたという忘帰洞から湯につかったまま御来光が拝めるというので、これは拝まないわけにはいかない、ということになりました。

翌朝、午前4:30に起きて日の出の時刻の前から一番いい場所を陣取ります。が、空は一面の雲。わずかに、わずかに太陽が昇ると思われる部分の雲が一部切れているのです。高まる期待と不安。雲の切れ目ははじめ黄色く、やがて一部が赤みを帯びてきます。きっとあの赤い部分の下にいるに違いない。そして――。

現われました。鮮烈な強い光を放って、太陽はその姿を表しました。こんなに雲が重く覆っているのに、そのわずかな切れ目から辺り一面を照らす太陽。それは正に神であり、私たちに生き方を教えてくれているようでもありました。どんな状況でも自ら輝き、世を照らせと。


[日輪]

岩に当っては砕け散る
荒々しい波の間から
重々しく空を覆う
雲のわずかな絶え間から

強い光を放って現われたるその姿
その姿に狂喜せずにいられようか

日輪よ
新しい時を告げる日輪よ
その光でこの暗き世界を照らし給え
その光で我ら一人一人の命に
輝きをもたらし給え
この星を 輝く生命で
満たし給え


このあと、コンサート前からずっと晴れていた空から雨が降り出しました。まるでこのツアーのために我慢してくれていたような雨、感謝せずにはいられません。バスは美しいエメラルドグリーンの南紀の海に沿って走りながら、関西国際空港へと向かったのでした。

空海と天の邪鬼が橋架け競争をして未完に終ったという南紀串本の橋杭岩


―了―



*' *' *' *' *' *' *' *' *' *' *' *' *' *' *' *' *' *'


当サイトに掲載されている作品の著作権は
全て「恋歌」編集部に属します。無断転載、複製を禁じます