メールマガジン「恋歌」第52回
2003.8.7

【夏休み特集1】


 

[旅立の朝]

午前4時 目覚ましの音
緊張と共に起き上がる
平成15年7月19日
聖なる地で
聖なる音が響く日の
朝が明けた

その時 僕は何を見
何を聞くだろう
新しい時代の夜明け
新しい時代に向かって
旅立ちの時

熊野――。

常世(とこよ)の国。常世とは永遠の世界であり、それは死と再生を意味する。熊野へ行って帰って来る、それは正に「黄泉(よみ)帰り」であり、人は「甦る」のだ。この聖なる土地は老若男女、貴賤、宗教の別を問わず、あらゆる人を受け容れてきたという。ここを訪れることで人は心身共に癒され、新たな生命力を得たのだという。

その熊野の本宮大社旧社地である大斎原で、いだきしんさんが野外コンサートを行うことになった。2003年8月25日タンザニアで行われる「平和の灯火」コンサートに先立ち、日本から平和を発信する、というものだが、同時に、どうも今一つ元気がない日本人に、どんな困難にも打ち勝って国を創っていった魂を取り戻し、一人一人が輝いて世界のために生きてほしいという願いがこめられたものだ。

癒しと甦り――。それはいだきしんさんの音楽にもこの熊野という聖地にも共通なものだ。この両者が出会う時、そこに何が起こるのか。それは現代社会に生きていく中で倦み疲れ果ててしまった私たち人間一人一人にとっても、そしてその人間によって環境が破壊され、同じく疲弊してしまったこの地球という星全体にとっても、生命輝いて生きる新しい時代のはじまりとなるに違いない。その瞬間に居合わせる為に、僕はこのコンサートのツアーに参加したのだった。

家を出ると羽田に向かい、そこから飛行機で伊丹へ。伊丹からはバスで熊野に向かうのだが、バスが発車する頃、ポツリポツリと雨が来た。天気予報では熊野は一日中雨、雷雨警報すら出ていた。「雨天決行」とはなってはいたが、できれば降ってほしくない。しかし、そんな期待を嘲笑うかのように、雨はだんだん本降りになっていく。和歌山県に入り、山に入って行けば行く程、天候は重苦しくなり、雷すら鳴り出す始末。ツアーでは伏拝王子(ふしおがみおうじ)と呼ばれる所から古道(ふるみち)を実際に歩くというスケジュールになっていたが、現地の方より連絡が入り、古道を歩くのは危険とのことでこれは中止になる。バスのルートも、どうも変更になっているようで、どんどん南へと下りて行くのだが、夏休み最初の三連休ということもあり、白浜辺りから渋滞となり、スケジュールはどんどん遅れていった。本宮大社そのものへの観光もなしとなったが、皆、コンサートへの参加が第一の目的であり、それに間に合うことだけを祈るようにして熊野へと向かうのだった。

そして――。奇跡か。コンサート2時間前の4時過ぎから雨は上がり、バスは5時に旅館に到着、ちょっと早めの夕食を摂った後、6時にはコンサート会場である大斎原へと到着した。無事6時半の開演に間に合う。

大斎原は熊野川に浮かぶ中洲である。この洲の上にかつての熊野本宮大社は建っていた。それが明治22年(1889年)の洪水で流されたのを機に、フスミノオオカミ、ハヤタマノオオカミ、ケツミミコノオオカミ、アマテラスオオミカミの4柱の神様の社殿が現在の場所に移築されたのである。僕は、この中洲に神社を建てた古代の人の感覚に驚嘆した。

そもそも紀伊半島自体が巨大な山の塊であって、その真ん中に位置するこの聖地に辿り着くには、幾つもの山を越えるという苦労、困難を重ねなければならない。そうしてやっと辿り着いた時、水の上に浮かぶ神々の宮居を人は目にするのだ。現代、バスでこの地に来た僕でさえ感激するのだ。それがそんな交通手段のない時代の人たちであれば、その感激はいかばかりであったか。実際、バスから降りて最初に感じたのはそのピンと張りつめていながらやさしい、清々しく気持ちのよい空気であった。この地に降り立った瞬間、僕は古代の人が何故ここを聖地としたかがわかった。

さて、バスを降りた僕たちは日本最大という大きな鳥居をくぐり、木々が鬱蒼と茂る参道を通って旧社地へと向かう。森を抜けると、正面に演奏者のいだきしんさんと楽器群を雨から守るための大きなテントが張ってあるステージが現われた。

 

日本最大の鳥居(左)――そして薄暗い森の道を抜けていった所に大斎原の旧社地が広がる(右)


午後6:30過ぎ――。ステージを囲む篝火(かがりび)が灯され、会場は幻想的で神聖、荘厳な空気に包まれる。いだきしんさんはステージにその姿を見せると、ピアノに向かい、低弦をドーンと響かせる。コンサートのはじまり。コンサートの趣意書のままに、先程まで雷雨だった熊野の地、空一面雲が覆うこの熊野の地で、コンサートが進むにつれ辺りは次第に明るくなっていく。そう、コンサートは正に、趣意書に書かれたそのままに展開し、実現していく。僕たちの心の奥深くに眠る日本人の魂を呼び覚ますような太鼓や三味線の音、疲れ切った体や心を癒す水の音、ピアノの音。そして――。

宇宙的な、天地創造、天地開闢の音が鳴り響く。新しい時代の開闢が表現されると、いだきしんさんはエレキギターを手に、熱い演奏を繰り広げる。一人一人の奥に眠っていた魂、いや、日本全国の大地に鎮められ、封じられてしまった人間の、そして神々の魂に火を灯す演奏。僕たちは体の奥底から熱く滾るような力に満たされた。


[開闢]

古(いにしえ)より伝わる聖なる森で
傷つき疲れ果てた多くの魂が
癒され そして蘇る

目覚めよ イザナギ イザナミよ
我らに国をつくりし愛の力を与えよ
目覚めよ スサノオよ
我らに古きを薙ぎ倒し一掃する
荒ぶる力を 勇気を 魂を与え給え
目覚めよ アマテラス
我らが自ら輝き 世界を照らす
一人一人となるために

人の祈りと
天の意志を顕わす音に
一人一人の中(うち)に蘇る神々
人が輝き
生命が輝く
新しい時代 新しい国の
はじまり


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私たちを昂揚させたコンサートから一夜明け、指定された時間に食堂に朝食を摂りに行った。食事していると同じバスの女性たちが元気に入ってくる。本宮大社に行って来たところだという。本宮大社はツアーの予定に入っていたものの、バスが遅れた関係でカットになったところだ。今回のメインイベントであるいだきしんさんのコンサートを堪能したとは言え、本宮町に来ているのに本宮大社に寄らないというのはやはり不本意である。時計を見ると出発まで1時間半ある。

「昨日、バスで10分位だったよね。」
「バスで10分だったら30〜40分も歩けば行けるか。」
「まぁ、それでも時間限られてるし、道も知らないから、行きはタクシーで行って、帰り歩いて帰ることにしよう。」
「それだったら大丈夫そうだね。」
「10分だったらタクシーでもワンメーター、ツーメーターで行くよね。」
「3人で割れば何てことないよね。」

全く、知らない土地というのに根拠の薄い推論をもとに、その時一緒に食事をしていた同じ部屋の男3人、旅館のフロントでタクシーを呼んでもらって本宮大社へと出かけた。この時、フロントの人が「タクシーですか?」と、ちょっと驚いた表情をしたのを僕らは見逃すべきではなかったのだが。

タクシーは割とすぐ来てくれて、3人乗り込んで本宮大社へと向かう。その途中で、昨晩は暗かったこともあってよくわからなかったのだが、実は旅館から本宮大社まではとんでもなく遠い、ということに気づき始めた。タクシーのメーターはどんどん上がって行く。

「運転手さん、帰りは歩いて帰ろうと思うんだけど、歩いたらどの位掛かりますかねぇ。」
「え、歩くんですか?」
「ええ。」
「そうですねぇ。40分、1時間位はかかるんじゃないですか。」

1時間掛かったら間に合わない。僕らは焦った。

「そしたら、帰りもタクシー呼んだ方がいいですね。」
「そうですねぇ。すぐ来るかどうかわからないですけどね。」

降りる時に運転手さんは呼ぶんだったらここに電話して下さい、と名刺をくれた。僕らはお礼を言って本宮大社の鳥居へと向かった。

と、鳥居の脇に、三本足の八咫烏(やたがらす)のマークが入った幟(のぼり)が立っている。実は、知人にこの三本足の烏を屋号として使っている人がいることもあり、僕は旅先で思わず懐かしい人に出会ったような、そんな感覚に捕われるのだった。

 

三本足の八咫烏の幟(左)と境内へと上がっていく階段(右)


鳥居をくぐって階段を登って行く。階段を上り詰め、神門がその姿を現わすと、僕はあっ、と息を飲んで立ちつくしてしまった。

大きく「甦る日本!!」「人生を癒す」と書かれた神門


神門には大きく「甦る日本!!」「人生を癒す」と書かれてあったのだ。この文章の初めに、僕は癒しと甦りとはいだきしんさんの音楽と熊野に共通するものだ、と書いた。正にそれを証明するかのような、正に僕らを待っていたかのようなこの言葉に、僕は身が震えた。そういえば、いだきしんさんが書いた本のタイトルは『生命を癒す』であった。英語で言えばどちらも "Healing of Life" ではないか!

感激に震える僕はここに祀られている4柱の神様の前に進んだ。向かって左の第一殿にはこの熊野では夫須美大神(フスミノオオカミ)と呼ばれるイザナミノミコト、続いて速玉大神(ハヤタマノオオカミ)と呼ばれるイザナギノミコト、次に中央の第二殿にはこの本宮大社の主神である、家津美御子大神(ケツミミコノオオカミ)と呼ばれるスサノオノミコト、そして一番右の第三殿にアマテラスオオミカミ、僕もこの順に参拝したのだった。

 

本宮大社の神殿――左からイザナミ、イザナギ、
スサノオ、アマテラスが鎮座する

 

[熊野本宮大社にて]

愛と
平和と
変革と
光と

この国を生みし神々よ
我らに力を与え給え
そして我らを導き給え
今また国生みが
必要なこの時に

最後にアマテラスオオミカミに祈りを捧げた時に、僕は体の中から明るくなり、熱いものを感じた。その確かな感覚に、祈りは受け容れられたと、僕はそう感じたのだった。

その後、タクシーを呼ぶと、10分ほどで来るという。神官が太鼓を叩きながら祝詞を上げ、誰かの身を清めているのを見たりしながらしばらくブラブラした。この境内から熊野古道へと通じる道があるのを見つけ、そう言えば熊野古道は昨日の雷雨で行けなかったことを思い出し、その片鱗でも味わうことができればと、ここを通って下に降りることにした。

 

拝殿の奥の方に太鼓を叩きながら祝詞を上げる神官(左)、古道から本宮大社へと続く道(右)


下に降りてしばらくするとタクシーが来た。さっきと同じ運転手さんだったので僕は喜んだのだが、運転手さんは当然、という顔をしている。どうしてだろうと思って話を聞いて驚いた。

「この町にはタクシーは2台しかないんですよ。だから1台が新宮とか勝浦とかに呼ばれてしまうと、もう。2時間待ち、3時間待ちはザラですよ。」
「ええーっ。観光地なんでタクシー一杯いると思ってましたよ。」
「そうでしょう。だから知ってる人はね、タクシーは1日押さえるんですよ。こないだも団体さんが来て大変でした。」

何と、知らぬこととは言え、実に無謀なスケジュールで動いていたものである。運がよかったと言うべきか、バスの出発に十分間に合う時間に帰って来ることができた。

それにしても――。熊野古道を訪れる人は年間10万人と言われている。それだけの一大観光地でありながら、この町はタクシーが2台しかないとは……。それには勿論いろんな事情があるのだろうが、しかし、そのいかにも観光化されていないところがこの土地の清浄な空気を保っているようにも思うのだった。この熊野の大いなる自然が我々人間を受け容れてくれているように、我々人間もこの自然ありのままに生きること、それこそがこの熊野の地を訪れることの意味ではないか。

そんなことを考える余裕があるのも実際はバスに間に合ったからだろう。かくして本宮町を後に、僕の乗ったバスは次の目的地、花の窟(いわや)神社へと向かったのだった。


―つづく―

*いだきしんさんの熊野コンサート、タンザニアコンサートについての詳しい情報は、以下の公式サイトをご覧下さい。
 http://www.torchofpeace.org/jp/index.html


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